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じいちゃん

息子がはじめて覚えた言葉は
「じいちゃん」

生後10ヵ月の時、受話器から聞こえてくる私の父親の声に向かって
「じいちゃん!」
と、叫んだのだ。

「おう、おう、じいちゃんの声がわかるのか~。賢いなぁ」

「じいちゃん!」

「そうだよ、じいちゃんだよ、じいちゃん」

受話器の向こうで、小躍りしているであろう父の姿が想像出来た。


その頃神奈川の某所に住んでいて、都内の実家まで車で2時間かけて毎週のように孫の顔を見せに行っていた。
私の両親にとって息子は初孫ではないが、兄の嫁が生んだ子には遠慮があったのだろう。

実家に滞在する時間は3時間ぐらい。移動時間を考えると毎週通うのは大変だったが、喜ぶ両親の顔を見られて、それ以上に喜んでいる息子の様子を見られるのは嬉しかった。

両親の、息子への語りかけは半端なく多く、ずっと笑顔で何かしゃべっているじいちゃんとばあちゃんに、息子も満面の笑顔だ。

「孫は目の中に入れても痛くない」という諺は、本当なんだと思った。

毎週のように二人から言葉のシャワーを浴び、愛情を注がれたお蔭で息子は言葉を覚えるのが早かったのだと思う。

電話口で「じいちゃん」と言った後、先を越された母はとても不機嫌だった。
息子が産まれる迄は「おばあちゃんとは呼ばせないよ」と言い、父の「じいちゃんだよ」の呼びかけにも冷たい視線を送っていたのに、それ以来

「ばあちゃんだよ、ばあちゃんだよ」
と、まさかのばあちゃんコールだ。

「おばあちゃんとは言わせないんじゃなかったの?」
「孫からみたら、ばあちゃんだから仕方ないじゃないか。あんたは絶対私のことをばあちゃんなんて呼ぶんじゃないよ」

すぐに息子は「ばあちゃん」と言えるようになり、母は上機嫌に。


その後どんどん言葉が増えて、マンマ、トマト、はっぱ、茶っちゃ、アンパンマンなどが言えるようになり、「とうちゃん」が出た数日後

「かあちゃん」

11ヶ月の可愛い声で「かあちゃん」が聞けた日は、嬉しいというより、やっと言ってもらえたと安堵したような気がする。

(何で一番お世話をしている私が最後なの⁉)

とうちゃん、かあちゃんと呼ばれるのは、珍しいのかいろんな場所や場面でウケた。

特に、年配の女性は
「あら、かあちゃんなんて、懐かしい響きだねぇ」
と、目を細めてくださる。

かって、そんなふうに呼んでいたのか、呼ばれていたのかもしれない。


息子はあの頃の可愛さだけで十分、じいちゃんとばあちゃん孝行してくれたのだとしみじみ思う。

娘は息子以上におじいちゃん子だった。

可愛げがなかった私は、両親にちゃんと親孝行やご恩返しが出来ていたのだろうか、と考えたら、ちょっと切なくなった。




最後までお読みいただきありがとうございますm(_ _)m






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