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心揺さぶる2時間半をつくる人たち vol.2/RADWIMPS

#週1note -LIKE- 2週目。

もうまずはみんなにこれを聴いてほしい。
私にとっては人生のテーマソングのような1曲。

『万歳千唱』

歌のエネルギーが強いから、もはや改めて私が語ることもない気もするけれど、少しだけ。

ということで、#週1note -LIKE- "心揺さぶる2時間半をつくる人たち"vol.2は「RADWIMPSのライブ」。

RADWIMPSと言えば、最近であれば「君の名は。」「天気の子」の主題歌や挿入歌は、誰もが聴いたことあるのでは。(個人的には「天気の子」自体もめちゃくちゃ語りたい作品。)
「いいんですか?」「トレモロ」「有心論」、、私自身、思えば中高生の時から聴いていたRADWIMPS。改めて最近私の中でホットな彼らについて、今回は少し語ってみたいと思います。

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ちなみに、2001年から活動をスタートさせた彼ら。正直、ずーーっと追いかけてきた人と比べると私はにわかなのかもしれないけれど、好きなものは好き、で自信持っていいんじゃないかな、とも思い始めた最近です。
好きなものは好き、でも別に無理にその人のこと全て知っていないといけないか、全てを好きにならないといけないかというと、そういうわけじゃないのかもしれない。人は変化するものだから、もしかしたらその時々で好きなものは変わっていくかもしれない。でも今の自分なりの好き、でいいんじゃないか、と人間関係においても何においても最近思ったりします。
昔は、全部知らないで好きって言っちゃいけないんじゃないか、とか、自分の好きなものを否定されたらどうしよう、とか、仲良い友達のことは全て好きにならないといけないんじゃないか、とか、ずっと昔と同じような関係性をキープしないといけないんだ、とか、そんな思いに苦しめられていた、けれど、最近は「好き」は流動的なんだ、と思って楽になりました。それは個人的にはこの1年の大きな変化。

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こんな前置きを書いてしまうくらい少し恐れ多いけれど、今回は私なりにRADWIMPSに対する「好き」を言葉にしていきます。

今回スポットを当てるのは、そのライブ。強く心揺さぶられる2時間半について。いくつか映像も織り交ぜながら紹介していきます。

①演出がすごい

まず、特に演出が神々しい。物凄い人数のプロが集まってつくられたその空間と時間に息を飲む。
個人的に花火が好きなのですが、あらゆる色が混ざったカラフルな花火よりも、金一色の花火の方が好きで、それに少し似た感覚な気がしています。要素を詰め込んで華やかに賑やかにすることは簡単だけど、シンプルに美しいもので魅せることって難しいんじゃないかな。映像も仕掛けも色味も盛り沢山のアイドルのライブも好きだけど(AAAとかEXILEとか実際行ったりもする)、シンプルな素材にライティングで魅せる、あの神々しさがすごく好きです。

個人的には、去年のライブの『愛にできることはまだあるかい』と『万歳千唱』の演出が好き。現実世界にこういう空間があるんだな、こういう時間があるんだな、と希望を抱かせてくれる2時間半です。


②一体感がすごい

なんといっても熱量が高い。煽りはどのライブでもよくあるけれど、一緒にこの場をつくっている感じが特にあるのがRADWIMPSのライブだなあと勝手に思っています。(一括りにするのは雑すぎるけれど、こういうバンド系のライブの特徴なのかもしれない。)
「価値をつくる人(生産者)」と「価値を消費する人(消費者)」がいるとしたら、普通は演者が感動体験をつくり届ける生産者、観客は感動体験を味わうだけの消費者で終わってしまう。でも、RADのライブを見ていると、演者も観客も、ともにこの2時間半をつくっていくんだ、というスタンスが強い気がします。

絶対延命『君と羊と青』

青とメメメ『セプテンバーさん』(ANTI ANTI GENERATION TOURのライブの『セプテンバーさん』が特に印象的でした。)

ANTI ANTI GENERATION TOUR『正解』

ただの観客ではなく、自分が当事者になる。消費する側ではなく、観客も生み出す側になる。
エネルギーを使って思い切り声を出すことで、自分もこんな最高な瞬間をつくることが出来るのだと確信できる。他者と共に同じ熱量を持って場の空気感をつくることで、知らない誰かとも手を取り合うことができる。それはきっと自分への自信にもなるし、他者や社会への信頼にも繋がる経験なんじゃないかな、と大袈裟にも思うのです。

あらゆる情報もエンタメも食も、あらゆるものが労せずインスタントに、ほぼ自分自身のエネルギーを使わずに、ともすればほぼ無料手に入れやすくなった時代だからこそ、自分自身が声を出して、他者とともにその場をつくることで初めて心が動くと思うのです。

(最近新型コロナウイルスが広がって思うのは、オンラインであらゆるものが代替できて、特に不自由なく暮らすことが出来ているけれど、あの熱量をオンラインでつくることってすごく難しいんだろうな、と。大勢のエネルギーが密集して初めてあの感動がつくられるんだと思うと、オンラインの時代にああいう心動く体験ってどうやってつくることができるんだろう、、というのは最近のテーマ。)

③世界観がすごい

さて、ここまでライブについて語ってきたけれど、なんがかんだ一番好きなのは彼らの世界の捉え方。

こんな優しくなくて、不平等で、残酷で、嘘うそつきばっかりで、やってられない世界だけど、それでもやっぱり生きていてほしい。こんな狂った世界なんだから、君が苦しかったり、悲しかったり、違和感を覚えるほうが自然だ。逃げ出したくなるのが当たり前だ。 
こんな狂った世界で当たり前の顔をして、疑問も持たず生きられる奴らの方がよっぽどどうかしている。あいつらの方がよっぽどおかしい。君がいなくなって、そんな奴らばっかりの世界になるのなんて、僕は嫌だ。

世界は最初から狂っている。天気の子でも描かれている、そんな”世界に対する絶望を表現しながらも、それでももう片方の手に希望を持った”その歌に、ぐわっと心揺さぶられます。

『DADA』


『実況中継』

(ANTI ANTI GENERATION TOURの『パパラッチ』も凄かった)

『アイアンバイブル』

『いいんですか?』

“悪”を断罪するような正義感と、ある意味で相反するような全ての人を包み込むような愛情深さ。その純度の高いメッセージ一つ一つに、自分は何を信ずるのかを問われるような気がします。

同時に、彼らを見ていて思うのは、純度の高さが人の心を動かすということ。
自分は自分の信じる在り方を貫けば良いんだ、と気づかせてくれる。誰かに遠慮する必要はなくて、私は私の人生を信じて、この命を輝かせることに集中すれば良いんだ。その姿がきっと誰かを引き上げる。

アーティスト、とは、自分に誠実に純度高い表現をしている人、なんだと思います。

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おまけ。
RADWIMPSを見ていて思うのは、アーティストは現代の「宗教」だなあということ。

『会心の一撃』

「幸せでいろよ」「大丈夫だ」という言葉や、彼らが楽曲に乗せて放つメッセージを拠り所や指針にする人は多いのだろうなと思います。

歌は経典。彼らのようなメッセージ性の強いアーティストは、無宗教の日本の宗教。(ちなみにニュージーランドに留学していたときに、向こうの教会に行ったら完全に音楽ライブだった。歌というものは、自分の思いを伝えるためのものだから、歌は宗教とめちゃくちゃ親和性が高いのだと思う。)
人は見たい景色の人のところに集まる。近くの人が見ている景色が、その人の世界になる。宗教も同じ。同じ景色を見たいと思って彼らの周りに人が集まるんだろうな。


④最後に。

本当は4月に行く予定だった今年のライブ。例に漏れず延期になりました。
ウィズコロナで、これからのライブはどのように変化していくのだろう。
ウィズコロナで、これから人の心を動かすのはなんなんだろう。

コロナが広がり始めた頃、彼らが世界にエールを送るためにつくった曲もあります。多くの人に届きますように。


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