【読書メモ】『多元化する「能力」と日本社会―ハイパー・メリトクラシー化のなかで』
いろいろなところで紹介されていて一度読んでみたいと思っていた本を、図書館で借りることができました。
本田由紀さんは、教育社会学者の中でも新しい言葉を創るのがうまいと言われています。この「ハイパー・メリトクラシー」はまさにその代表例でしょう。
大学入試制度がどんどん変わり、学習指導要領が新しくなって、この本で指摘されていることはおおむね現実のものになっています。
いわゆる「ランクの高い」大学に入るのに、従来のように一生懸命勉強して「近代型能力」を身につけて競争型の学力試験で勝ち残ることを目指すよりも、意欲や創造性、コミュニケーション能力などといった「ポスト近代型能力」の多寡が問われるような入試で合格しようとする高校生や、それを後押しする高校が明らかに増えています。
個人的に興味深かったのは、第5章の「女性たちの選択」でした。
子どもに「ポスト近代型能力」を身につけさせようとする「ハイパー・メリトクラシー化」の進行が、子どもを持つ女性の就労意欲を低下させているのではないかとの指摘は、あながち的外れではないと思いました。
根拠となるデータが不足していることは確かだし、それを証明できるようなデータがそもそも揃うかどうかも分からないような不確かな状況で、あえてこのような指摘をするというのが結構チャレンジングだなと思いました。
本田さんご自身も「根拠が足りない」と述べているし、amazonにもなかなか辛辣なレビューが載っていますが、確かな根拠が揃うまでは何も言えない・書けないというのではあまりにも窮屈すぎる。
時にはこのような「実験的」な論考があってもいいんじゃないかと思います。
例えば
という点などは結構肯けるものでした。
本書の最後では、ハイパー・メリトクラシー化に対抗するための提言として「専門性」という表現を使っていましたが、私は「専門性」などと大層な表現でなくても、単に「自分の好きなことをとことん突き詰めてやる」くらいのイメージで十分じゃないかなあと思いました。
将来の仕事とか職業とか、生き方在り方に直接関係ないとしても、単にその人が好きで、時間を忘れるくらい集中できるものがあれば、「ポスト近代型能力」を補う、あるいは対抗するのに十分じゃないかと。
私の息子の例で言えば、プロのミュージシャンになるつもりは全然ないけれど、学生時代の友だちと時々バンドを組んで内輪でライブをやっていて、それだけでも十分楽しそうだし、「自分らしさ」を確認しているように見えるのです。
他の方のレビューにもあるように、ところどころ力が入りすぎて空回りしている感はありますが、何を訴えたいのかは十分伝わる1冊でした。
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