「95(第10話)」過激で暴走気味の若者たちは復活するのだろうか?
エンディングは同窓会になるのかとも思ったが、そういうことはなくてよかった。歳とった姿が出てきたのは、斉藤由貴とメケメケのマスターだけ。ああ。安田顕もか・・。松本穂香が歳とって出てきたら誰だろうね?
初回にもあった、ビルの屋上で歌う松本の姿が、最終回にも出てくる。彼女は、浮遊したままに、最後には高橋海人が、三浦貴大から写真のネガを取り返し、自由になれたのか?その辺は想像でいいのだろうし、桜井ユキがしっかり生きてるということが答えなのだろう。
最終回は、前回始まった喧嘩になかなかパワフルに時間をかけられる。敵の強者の勝矢がなかなかくたばらず、一回死んでもまた蘇る感じは、なかなか面白かったし、その勝矢が一度くたばったところで、ヤク中で拳銃を持った鈴木仁が飛び込んできて世界が変わる。拳銃というものの異世界的狂気の意味がよくわかる演出。
そこに並行して花火を上げる、渡邊圭祐と浅川梨奈と工藤遥。女子高生二人で大玉をあげてしまうという異世界感もなんか気持ちよかった。そう、それが渡邊がビビってる中であり、もう、この時代から女子の方が割り切りがいいというか、未来に向けて駆けていたのかもしれないなと思ったりもした。
そして、ことが終わり、中川大志の母の斉藤由貴が、周囲にいた子たちの親を呼んで金で解決しようとするが、まあ、親たちがそんな仲違いもせずに若者たちの未来を考えようというオチは、ちょっと出来過ぎではある。
そう、このドラマを見ていて、1995年というのが、かなり変化が大きい年があったということを確認するとともに、この頃から、高校生の不良文化というか、酒もタバコも無くなっていった感じはなんかわかる気がした。個人的には、こういう世界が嫌いではないが、まあ、若者にとっても今の方が住みやすい気もする。とはいえ、松本穂香のような女子は今もいるだろうし、男に比べたら、女は商品価値があるのは確かと考える大人が減っているとは思えない。
そう、昨今はそういう良い子と悪い子の区別が見た目でわからないのが本当に面倒くさい。そういう意味では、今の若者に、もっとわかるようにグレてみればと言いたいこともあったりする。
ラスト、クリスマスイブの事が終わり、みんなでカラオケ。歌うのはブルーハーツ「少年の詩」”そしてナイフを持って立ってた"という言葉のリフレインが心をついてくる。そう、この時代には、小室哲哉の歌よりもブルーハーツの歌があったということの方が重要なのかもしれない。
そして、こんなみんなの心に刺さる歌手が今いないという気がするが、どうなのだろうか?というか、音楽が時代の象徴として残っていかないということなのかもしれないが・・。
内容はともかく、城定秀夫監督の演出はなかなか映画的な勢いがありよかった。こういうドラマがいっぱい作られていけば、若者文化もルネサンスの時代に入るかもしれなかったりもするとか、ちょっと妄想してしまいました。