「夜明けのすべて」あえて、ドキュメンタリックにすることの意味合いが私にはわからない
瀬尾まいこの原作を「ケイコ目を澄ませて」の三宅唱の監督で映画化。まずいえば、私はこの「ケイコ目を澄ませて」が多くの映画賞をとるような作品とは思っていない。(実際にとっているわけだが、それに値するほど心に残らなかったということ)フィルムで撮られたドキュメントタッチの流れが、まあ物語のテーマに真摯に向かい合ってるのはわかったが、それがエンタメとしてドラマとして観ている方に向かってくる感じではない映画だったからだ。もちろん、主演岸井ゆきのの演技はなかなか熱が入っていたのはわかるが、映画全体のテイストとしては、低予算映画というところから何も抜け出せていないし、マイノリティに寄り添ってあまりそこに深く立ち入らないようにしてる感覚が何かテーマに対する逃げみたいなものにみえたこともあるし、好きなボクシング映画というジャンルの中でも光るものではないという印象を持ったからだ。
そして、この映画、あまり情報を入れずに見た。最初に書いた内容と映画館で予告編を見たことだけが見る前の情報。そして、10分も見たところで前作と同じように撮られた映画なことはわかった。フィルムで撮影されたと思う粗い画面も同じ。それがドキュメント感覚を演出する一要因になることはわかるが、良い映画を撮るためにそれが必要かと考えたら私はあまり意味がないと思っている。そう、監督の趣味だから良いと思うが、多くの可能性を試すならデジタルで挑んで映画の完成度を上げて行った方が、観ている方にはありがたい気がする。
主役は、上白石萌音と松村北斗。朝ドラマニア視点から見れば、あの傑作「カムカムエヴィリバディ」の最初の主役二人のそれ以来の共演である。ということは、少しの恋物語的な部分も期待したりするわけだが、ここではお互いのマイノリティーとしての病気の症状に寄り添うことはあっても、それ以上のことはない。映画としては、それは少しそっけなさすぎる。とにかく、三宅監督はドラマとしてそういうものには興味がないのだろう。昨今のドラマの原作者が亡くなった問題では、無理やり恋愛に重きを置こうとしたところが原作者の違和感だったようだが、その辺りはクリエイターさまざまでいいと思うし、文句はないのだが、ある程度、観客の求めるものというのは考えるべきだと私は思う。あくまでも、観客あってのエンタメなのだから。
そういう点では、三宅監督という方は、多分そういうものには嫌悪さえ抱いてるのではないかと思う。あくまでもリアリティの世界を写し取りたいという方向性はすごくわかる。そういう意味では、最初に上白石がPMS(月経前症候群)の症状が出たところから、その突然にやってくる周囲との違和感みたいなものをうまく演出してたとは思う。その辺り、監督と役者のコンビネーションはすごくうまく行ってる感じがするし、この病気や、松村が抱えるパニック症候群というものが、世の中にどういう違和感を起こすものなのかということはよくわかる。そして、ドラマチックな演出がない分、彼らを観客が観察する感じになるので、映画としては観てて飽きないし、興味深い。
そして、二人の病気に対して説明的なところが少ない分、観ている側が終わった後でその症状について調べたくなる感じになるのだが、昔ならすごく不親切に思えたかもしれないが、昨今はネットで検索すればそれなりのことは出てくるからいいのだろう。映画の中では、「ネットの声は声が大きい人の声」という話もしていたけどね。ある意味、説明がないに近い分。主役の二人を観察する感じが強まり、それが映画の力にはなっていた。
そこに、亡くなった親族に対するケアマネジメントみたいな会合の話も入ってきて、普通の中にある、自分から求めてたわけでない不幸というか違和感みたいなものを持つものがそれなりの数いるということも理解できる映画なわけで、その辺は好意的に感じるのだが、「ケイコ〜」でも思ったのだが、「だからどうすればいい」というところがぼやけてるのが気持ち悪いのだ。まあ、監督的には、自分で考えない奴はこの映画を観る資格さえないと言い出しそうな予感もするが・・。
最後に上白石は母の介護もあり、その近くに仕事を求め移るわけだが、環境が変わってもPMSの症状は出るだろうし、それによりまた違った悩みを持つかもしれない。そして、松村に関しては、今の仕事が少しは面白くなり、職場の居心地もそれな入りによく感じてきて、今はいつづけようとするわけだが、パニック障害からの夜明けは何一つ見えてこない。まあ、職場のコミュニティができるようになったことで、少し前向きにはなっているのだろうが・・。
そして、そんな二人が最後に関わる移動プラネタリウムの話。なかなかいい話だったし、この映画を見終わった後でプラネタリウムに行ってみようかと思う感じになるのは、映画としての力だろう。だが、このプラネタリウムの話が、ギリシア神話の話がこの主人公二人にシンクロするようなことがあればもっと良かった気はする。そう、二人の病気とそういう話の中の仕掛けがあまりシンクロしていないのだ。原作は読んでないからわからないが、多分、このプラネタリウムの話がかなり重要だと思うのだが、どうなのだろうか?そしてタイトル「夜明けのすべて」というのは、二人の夜明けと夜空があめることをかけているようにも見えるので、その夜明けの風景が明確でないことが、ちょっと気持ち悪かったりしたのだ。
ネットで見る限り、評判は上場で、興行成績も悪くないようだ。松村と上白石の主役というのが観客を寄せているとは思う。そして、二人の演技はこのマイノリティーの姿をうまく演じきってるし、今年最後にはやはり映画賞の候補になってくる演技と言っていい。
まあ、牌の少ない中での映画賞やベストテンには私は批判的だし。もう少し時間が経って、もっと大っぴらにアニメを映画として評価できる時代になっていけば、エンタメとしても作りとしても優れてるそういうものが映画として歴史に残っていくわけだと思う。そして、商業的にはこの手の低予算映画は駆逐されていくだろう。その危機感を思うと、こういう映画を手放しで評価する映画好きの気持ちには同意できない私である。
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