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「持続可能な恋ですか?〜父と娘の結婚行進曲〜(第5話)」歳をとって、愚痴を言えて、聴いてもらえる関係という深さ

今回は、八木亜希子が初めて、お芝居の中に出てきた。回想シーンではあるが、そこでの松重豊との夫婦の画は見事。松重が忘れられないということが視聴者に見事に伝わってくる。八木さんもたまに俳優やってますが、なかなか良い雰囲気が出せる人ですよね。なんか、柔らかい感じがとてもいい。

そして、それに伴って、松重と井川遥が近づいていく感じ。今回は、井川と上野樹里が一緒に話すシーンも出てきて、上野が、この恋を成就させるために最後は、背中を押すのかもしれないな?と感じたりもする。

そう、その松重と井川を少し近づけるのが、八木の形見のストールだというのは、なかなかうまい持っていき方。それを買った「玉川姉妹」は、なんか亜流で面白みは少ない。なぜそう思うかといえば「阿佐ヶ谷」と「二子玉川」がシンクロしてこないからだと思う。まあ、どうでもいいが…。

そして、松重と井川が、「愚痴」というものの話になる。若い時にやりたいことをやって愚痴を言うのと、やらないで愚痴を言うなら、やって愚痴を言ったほうがいいという井川の言葉も上野に語られたりする。

そう、「愚痴」を言うことは、不幸をもたらす元にも思えるが、人は死ぬまで口に出さないまでも、なんらかの愚痴というものを抱えているのかもしれない。そう、考えると「夫婦」という単位は、愚痴を軽く言えたり、聴いてあげられる関係であることは重要だ。そして、その愚痴からポジティブなものを花咲かせられるなら、それが理想形だろう。

そんなことを、松重と井川の会話の中に感じたりした。そして、歳をとるということは、多くの思い出が増えていくことである。亡き妻の思い出も素敵であるし、今の恋の思い出も素敵である。そんな思い出の中で「愚痴」も一つのエッセンスだったりする。「愚痴」を優しく語れる人、優しく聴いてくれる人は信用して良いだろう。

そして、最後の田中圭と上野樹里のキスシーンの前にも、そんな「愚痴」の話が出てくる。このドラマ、進展がすごく遅いのだが、1話1話の中に、それなりの味わいがある。もちろん、それは、松重や井川の演技によるところが大きいが、恋の二重構造により、それがハーモニーを奏でているという部分もある。磯村勇斗の役は少しかわいそうな役ではあるが、どう考えても、上野の脳裏に彼はないだろう。でも、彼のような存在を置かないと、上野と田中の恋も前に進まないとも言えますよね。

あと、今回は、ヨガスタジオの講師の依頼を断って、起業を始めるところが少し停滞していた。結構、この辺とサポートする男の関係みたいなところはしっかり描いて欲しい気もする。そういう部分が、今を描くドラマの中ですごい重要なテーマではある気がするからである。

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