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乃木坂46「Route246」小室哲哉の曲と令和の今のシンクロは成立するのか?

乃木坂46の新曲がラジオから流れてきた。小室哲哉が怒涛のように流れ歌われていた頃を知っているものには、イントロを聴いただけで小室の曲だということがわかる。ある意味、フレーズの繰り返しのような曲の流れは心地よい。多分、それは私の耳が彼の曲に洗脳されているからだろう。

小室哲哉は私より2歳年上である。ほぼ同世代と言っていい。つまり、同じような時代の楽曲を聴きながら(もちろん、同じなのは時代だけで環境は違うから同じものとは思っていない)育ってきたということである。

そのバックグラウンドに、1964の東京オリンピックから1970年の万国博覧会に続く、高度成長期を起点に、音楽のパターンがどんどん増え続けた中で彼は自由に音楽に触れていたはずだ。そして、1980年代後半、TM NETWORK を結成して以降、1990年代の小室ファミリーの音楽界の席巻にいたる10年間くらいは、彼は神に動かされるように曲を作った。そして、その曲を今聴いても、こころ動かされる人は多い。だが、その一瞬はもはや四半世紀前の話だと気づくと驚く!

しかしその後は、金や女に、あまり良いニュースもなく、そのままに2018年に引退表明。そして、2年後の今、秋元康の詞に曲をつけたこの楽曲で再始動ということらしい。金銭的な問題なのか?創作意欲が湧いてきたのかはよくわからないが、明らかに小室哲哉の曲が戻ってきた。

WOW WOW WOW WOW

と続くその詞は、秋元康の小室哲哉へのエールにも聴こえる。多分、この詞は曲先の中で作られたものだろう。もちろん乃木坂のファンへのメッセージでもあるが、それ以上に私を始めとした小室哲哉の時代を知っている人へのメッセージを含んでいると思う。

特にテーマのない応援歌を作らせたら秋元康はやはりうまい。それらしい語句を並べ、こちらのテンションをあげてくる。そういう意味でやはり小室哲哉へ捧げる詞と言っていい気がする。

やがて夢も覚めるなら
今のためにもがこう
カッコつけて生きてても
いつかきっと悔いが残る

そして、ここに描かれているのは、やはり小室哲哉と秋元康が生きた昭和の概念である。

あの日 眺めていたのは
ショウウィンドウの未来さ
本物が欲しいのなら
自分の手で掴むしかない

昭和にあったショウウィンドウを今も我々世代はよだれをたらして眺めているだけなのかもしれない。

でも、今は何もなかった平成を飛び越えて令和の時代にいる。その時代に提示された、秋元&小室の楽曲には新しさは皆無である。でも、それが我々世代や乃木坂世代に刺さるのなら、それは郷愁を乗り越えた新しい何か?をイメージングさせなければ意味がないような気がする。

この楽曲が、コロナ禍の日本で、どう聴かれ影響を及ぼすのか?かなり興味のあるところである。

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