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「舟を編む 〜私、辞書つくります〜」小説発表10年と少しで日本語の変化が激しいことに気づかされる

三浦しをん原作。石井裕也監督の映画は見ている。アニメは見ていないが、今回は初のテレビドラマ化。主人公の馬締役を野田洋次郎が演じるというのが魅力で初回を観る。このドラマは、ここでの主役とも言える辞書「大渡海」編纂から13年目でのスタート。ということで、野田は主任になっているので、もうすっかり辞書オタク状態。そこに、映画では黒木華が演じたファッション誌から異動になった池田エライザがやってくるという設定。このドラマは彼女中心で描かれるようだ。

この原作が描かれたのは2009年から2011年だという。映画の公開は2013年。そう、今から10年とちょっと前の話なのだが、その間の世の中の言葉は思いの外、変化が激しい気がする。ネット界隈では、最近は句読点なしの文章の増加が言われているし、短縮言葉は昔以上に多くなったし、訳のわからないカタカナが当たり前のようにのし歩く日本である。本当に、言葉の意味をわかってしゃべっているのかと思うことも多い。そう、その10年後の「舟を編む」ということなのだろうが、舞台は2017年の今から5年前にとっている。最後に辞書ができるのが今になる設定だと思うが・・。

確かにもう5年前には若者層にはスマホ文化が十分に拡大していたし、ここにあるように、雑誌の廃刊も続き、それがウェブになったりもしていた。そんな時代に辞書の現場がどうあったか?そしてそれが現在どうあるのかというのを見つめるためには、今、ドラマにするのはいい時期なのかもしれない。

そして、ファッション誌というイメージの池田がどう辞書というものに興味を持っていくように描くのかは興味深い。同じ辞書編纂仲間の渡辺真起子や前田旺志郎も面白い存在に見える。そして、映画では今は亡き加藤剛が演じていた学者の役を柴田恭兵。しかし、「あぶない刑事」がまた封切られる中でこの役。ある意味、たいしたもの。

初回は、池田が辞書の仕事を知らされ、なんとなくそれもアリかと波に飲み込まれるまで。池田の人間性みたいなものを、最初の野田との食堂でのやりとりや、彼氏(鈴木伸之)とのやり取りで魅せていくのはなかなか秀逸で、野田が「あなたは辞書作りに向いてる」という話が視聴者にも理解できる流れがいい。

そして、柴田恭兵と社外編集者の岩松了と会席をするときに、池田は岩松に「右」をどう語釈するかという問題を出され、「→」と書く。一瞬、場が静まる中で、皆は何を思ったかというのが大事な感じで描かれるのがいい。その「何」を、柴田が柔軟性という。ある意味、日本語の変化は柔軟すぎるほど柔軟だ。だから現代に生きる感じの池田の柔軟な対応が新しい辞書には必要だということだろう。

それが、初回のラストの池田の涙に通じるのはなかなか綺麗だった。

私自身、最近は辞書に向かうことは、漢字がわからないときに漢和辞典を引くくらいである、国語辞典を繰って読むことはほとんどない。そんな中でこういう日本語のあり方みたいなものを再考させられるドラマがそれを開いてみようとも思うし、なんか嬉しい。

とにかく、インターネットの時代、それは百科事典ではあるが、国語辞典ではない。国語辞典もそこでは使えるが、やはり紙の辞書とは趣が違う。そして、野田が、8cmの厚さの中にどのようにきちんと言葉を並べて収めるかというようなことを言うが、確かに定型の中にまとめるという技を私たちは忘れつつある。だが、その限られた宇宙を作れてこそ、そこにある無限世界がわかるとも言えるのだろう。

そして、今このドラマ作ると言うことで、今の日本語の問題点というか、位置的なものもオリジナルとして入れ込んでいって欲しいと思う。そう、先ほどの右を「→」で示す話から、読み取れるのは、スマホの絵文字依存症の人がいる中で、それを日本語として示す必要があるか否かというところ。辞書内にも似たような絵文字がどんどん入ってくる時代なのかもしれないと思う。所詮、日本語は象形文字なわけで、そうかんがえれば拒否もできないだろうとは思うが・・。

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