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「にじいろカルテ(第6話)」病気って面白い。確かに記憶のなかに病気はある。

ラストは悲しい終わり方だった。安達祐実の記憶が亡くなっていくことを予感させる。自分の病気が回復した後の出来事。そう、人が生きる中で、誰かがどこかでいつも叫んでいることを一番感じるのは、病院かもしれない。

今回は、最初に泉谷しげると水野美紀が具合が悪くなったのを知らせるために走る子供のシーンから始まる。日常の中で、この村の診療所は実に役に立っているということを見せている。そんな中で、村の写真を撮りまくる高畑。今の自分の状況を母の誕生日には伝えようとモヤモヤしている。そんな中でのたわいない風景が綴られる前半。特に大きなドラマのない日常風景を描くことが、このドラマの最も素敵なところだろう。そこに、私たちが忘れてはいけないものが見える感じがとても良い。ある瞬間瞬間に犬や猫のように、余計なことは考えずに暮らす感じが愛おしい。

でも、そんな中で毎日、診療所は忙しい。そんな中で、持病の悪化で倒れる高畑。人が風邪などで寝込むときは、さまざまな記憶が蘇り、そして辛い記憶は未来へのブリッジでもある。そんなことを思い出させる今回の話だった。上に出した写真のように、村のみんなが集まってきて、高畑を応援するために歌を歌う。こんなことされたら、誰だって感動する。でも、都会では絶対にこんなことできないだろう。だから、すごく涙が溢れるのである。

そして、高畑が写していた写真は、ちゃんと母親に届けられ、ちゃんと思いは通じる。ここで、アナログの写真が使われるのは、写真の本来の役目を思い出させたりする。影を写すということは、心を写すことなのだ。色々と、事の本来の意味を思い出そうよ!という脚本家の投げかけだろう。

そして、高畑が回復したときに発せられる言葉「病気って面白い」「病気になるって、悲しいことばかりじゃない」という言葉が今回のメインの問いかけであろう。そう、誰もが子供の時の病気になった時のことを覚えているだろう。学校に行けなかったこと。美味しいものが食べられなかったことなど、それが人のステップとしてあるわけだ。そう、病気は心と身体のバランスを崩した先にあることであり、それは神様の問いかけなのかもしれない。

そう考えると、現在のパンデミックは世界全体が風邪を引いたようなものであり、世界全体で生き方を見直す時期だということだ。そう、色々見直さなくては行けない時には、みんなが笑うことが大事だということだろう。とにかくも、未来のためにどうすれば笑顔を取り戻せるか考えることで、このパンデミックは収束に向かうはずだし、その向こうに、この記憶の先の新しい幸せを考えなければいけないと思うのだ。

そんなことを考えながら、この虹の村の風景を毎週見ていると、優しさの積み重ねの大事さもわかってきたりする。さあ、今日も優しく強く生きていきましょう!

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