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「コーダ あいのうた」ラストの歌に全てが詰まっていて、未来を見つめながら現在の幸せに感謝する話

(ネタバレが多く書いてあります。見る予定の方はお気をつけ下さい)
最後に主人公が手話を入れて家族に向かって歌うジョニ・ミッチェル「青春の光と影」の美しい声で、この映画は全て浄化される。それは、その後に彼女が彼氏と飛び込む、蒼い海の如く清い感じと同質だ。映画全体は、聾唖者の家族を少しコメディタッチで追うが、最後には彼らが神に導かれるような感じでエンドマーク。サンダンス映画祭4冠と聞いて、もう少し重いものを想像していたが、現在の世界が望むものはそういうシリアスな未来ではなく、カジュアルに笑顔になれる未来なのだろう。世界中の人々、聾唖者がこの映画に今どう反応するのか?興味があるところだ。

聾唖者の話ということで、私が思いつくのは「名もなく貧しく美しく(松山善三監督)」である。この日本映画は、最後に母親の高峰秀子が不慮の事故で死んでしまうという悲しい話だった。続編では、この映画と同じように息子が健聴者で色々問題が起こる話だった。そう、そちらにテーマとしては似ているとは思った。だが、描き方は全然違う。半世紀の年を経て、世界中の障害者への偏見は残るものの、その理解者は増えていることをここに見ることはできる。

でも、こちらは、両親と兄までが聾唖者。漁村の街で笑われながらも元気に生きている一家だ。その中で一人耳が聞こえる主人公には、一緒に父と兄の漁に付き合わなければいけないという日常がある。あくまでも学校より家族を助けることが優先となる。AIがいくら普及したところで、なかなか聾唖者の通訳というのは難しい面がある。手話を音に変換できるような機械はいつできるのだろうか?ここで、彼らが危険信号の音を聞くことができずに漁ができなくなる話がある。これは、監視者が彼らを試した結果だが、世界中でこういう公の機関がやることは同じだろう。「危険は排除する」それが、生き死にに関係していても。そういう部分をきっちり描きながら、家族皆の未来を願うようなラストに持っていくドラマはよく纏まっていると思う。

最近は、こういう小品が「アカデミー賞候補」みたいに扱われることが多い。まあ、ここ二、三年はパンデミックで大きな映画が作りずらい環境ということもあるだろうが、それと共に、人間の原点に根ざしたテーマが皆に支持されるようになっているのかもしれない。昨年のアカデミー作品賞「ノマドランド」にもそういう一面を感じた。

主役を演じるエミリア・ジョーンズも印象的ではあるが、その才能を認める先生役の役者も印象的であり、彼がいることで彼女の意思が変わって行くわけで彼の描き方がなかなか良かった。最後のオーディションで帰った彼が現れピアノ伴奏を名乗り出るところは名シーンだ

そして、彼女の家族を演じる三人の役者さんも、すごく有機的で新鮮だった。SEXを禁止されてうなだれる夫婦などなかなか演じきれない。そして、この家族の手話を使う感じに違和感がなかったのもこの映画をリアルな感じに見せる一因だろう。

でも、誰もが印象に残るのは、学校の合唱部の発表会に、家族がやってきて、娘の歌を聞くところで、映画が無音になるところだと思う。観客を全て聾唖者の世界に誘う演出なのだが、「歌」とは「気」であり、その清らかさや波動が奏でる感動は、聾唖者にはこう感じられるという疑似体験ができるわけだ。

そして、その後の大学のオーディションで、彼女は家族の前で手話を入れながら歌う。ここで、家族は一体となり、新たな未来に希望を見るわけである。まあ、そんなに説明くさくない演出が観客の心を掴むのは確かである。映画って、見終わった後に、綺麗な高い波動がそこに感じられれば、それでいいということだろ思う。

傑作というほど、大きな感動はない映画だと思う。でも、こういうささやかな家族の未来の幸せが見える映画も悪くはないのだ。


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