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「クレッシェンド 音楽の架け橋」対立するものたちが、音楽でクレッシェンドしていく物語

ラストシーン、題名にあるクレッシェンドの最高の大きさに心が重なった感じを表現しているのだろう。曲はラヴェルの「ボレロ」だんだん大きくなっていく曲である。なかなか綺麗な幕の締め方だが、それぞれの対立は決して無くなってはいない。だが、彼らは考えることを知り、音楽でなら共鳴できることも理解できてきた。世界が完全に差別意識のない状況になるのは、とても無理なことだと私は思う。私自身も身体の中に内在するいろんな差別意識の種を持っていることは確かだ。だが、その種を芽生えさせている人たちには反抗したい心はある。それを言葉にしたり態度に表したらやはり世の中には不穏な雰囲気が表出する。だが、実際にここにもあるように、表出したままに、何も変わっていかない世界もある。皆が、そういうことをじっくり考えていったら、いつかは世界の対立は徐々に減るかもしれないということなのかもしれないが、それにはやはり長い月日が必要だということはこの映画を見ても思えたことだ。

いろんなことを考えさせられた映画だったが、終幕は友人の死で終わる。これは、11日から日本でも公開になる「ウェストサイド物語」に似た終わり方だ。つまり、パレスチナとイスラエルのロミオとジュリエットを描きながら、彼らの対立の本質をついていく映画なのだ。そういう意味では、わかりやすいぐらいわかりやすい構図が描かれ、そのまとめ方が監督のこの問題への意志なのだろうということはよくわかる。そうでなければ、ファーuteとシーンはこうしないだろうから。私的にはこのファーストシーンはいらない気がした。

この和平オーケストラを任せられた指揮者も、一度は断っているわけだ。だが、主催者の熱意に押された形なのか?引き受ける。そして、彼はドイツ人で、父はヒットラーの元にユダヤ人収容所に勤めていたという。身体にそういう本質的な差別をした人間のDNAがあるからこそ、引き受けたということなのだろうか?どちらにしても、今現在、民族対立を起こしている人々とはこの事象はまた違うことというように私には見えた。まあ、ヒットラーという怪物がいるかいないかは大きく違うと思う。

初めは、演奏の中にも協調が見えにくかった若者たちは、最後にはなんとか音楽の一致にはたどり着く。まずはそれができなくてはこのプロジェクトの意味はないわけだが、実際映画を見ていて、その辺は見えにくい。最初の方でもっと音楽としての不協の状況をデフォルメしないとわかりにくいということだろう。

ドラマ的には、最初からLOVEを感じあっていたものが、結果的に引き裂かれ若者たちにショックを与えるという構図。そして、いつか和平ができるように音楽が奏でられ、皆は祖国に帰るという図。綺麗にはまとまっているが、本質は何も変わってはいないという状況は映画を見ている私たちにはもどかしい。感動というよりも、この映画を見終わった時に皆が始めなければいけないことがあるという風に感じられた人たちはどのくらいいるのだろうか?

それでも、我々は未来に平和を見つめ続けなくてはいけないのだ。


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