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「コントが始まる(第5話)」努力が報われなくても、役に立つことの不透明さ

ここが、このドラマの折り返し点なのだろうか…。マクベス解散確定までの、主人公三人のモヤモヤを確認する回だった。そして、有村架純と古川琴音も別々になる最後。28歳の青春の出発を決めた回だったが、結局のところは、未来への不安のスタート回なのだろう。こういうドラマ書ける人って、なんか信じられる感じがいい。

ということで、今回は大きなドラマはあまりない。でも、仲野大賀が、恋人の芳根京子と社会格差のある中で付き合っていることとか、同級生で成功している浅香航大に、同情されて仕事をもらうことに怒りを感じたりとか、過去のマクベスの話を交えながら、今の地点の彼らの脳内のモヤモヤを描き出しているという点では秀逸な流れだった。

だから、最後は「努力は報われるのか?」という話を菅田が有村に問うわけである。そこでも、有村が華道部で全国3位だったという話を聞かされる。ここでも、菅田は自分との格差を感じているはずだ。人は、自分がたいした人物ではないという迷いに入ると、なかなか抜け出せないのだ。そう、同じただの人間なのに、社会の洗脳の中、どうしても自分の脳内で自分の立ち位置を決めたがる。最近は、昔偉かった人が、自分の現在地を間違えたままに生きて失敗する例もある。それを考えれば、若いうちは何度でも立ち上がれるのだが、一回の失敗で自分のランクみたいなものを決めてしまいたくなるのもわかる。

多分、この主人公たちと同じような立ち位置にいるものは、この現在の日本に溢れていると思う。もちろん、今のパンデミックの中、努力する気力も無くなっている人が溢れている。そういう意味で、こういう青春を描くことはすごい意味があると思う。ただ、昔はここで、周囲の人が「頑張れよ!」と言って終われば済む話だったのが、昨今はそうもいかないのだと思う。

あと、ドラマは半分残っている。そこで、主人公の彼らが、どうもがき、どう未来への足掛かりを見つけるのか?脚本家は、どういうスタンスでこの話の結末を考えるのか?すごい興味があったりする。

明日海りおの麻雀の話が出てくる。「迷った時は、大胆に動く」。勝負師は、その勝負に自分の人生を重ねたりする。そう、人生はまさに、ゲームである。まずは行動をしなければ変わらない。ただ、若い時は、夢敗れて、次のステージに進む段階で。死にたくなってしまうようなことが多い。未来があまりにも見えないからだ。

「努力が報われない」と思った時から、その努力の恩恵を受けたりするのは、かなりの時間を要する。有村がした、努力が役に立った話も、努力してから数年後の話である。そう、そんなこと、自分の人生の一本の道の中で、行動し、経験しわかることであり、努力が報われなかった時点でわかるものではない。挫けたところで、前に進むしかないという現実はやはり結構きつい。

そんな、不透明な部分を形にしようとしているこのドラマだから、たまらなく見ていて刹那さも感じるのである。21世紀になっても日本の青春は垢抜けないなと思ったりもする。

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