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「風間公親〜教場0〜(第3話)」男女による教育のやり方に差があっていいのか?

赤楚衛二が風間道場を卒業していき、今度の生徒が新垣結衣。こうやって、2話毎に生徒が変わっていく仕組みらしい。

ということで、またパワハラ全開の教育かと思ったら、キムタク、ガッキーには赤楚とは全く違う態度というほど、優しく接している(優しくはないか?)そして、流石に体罰的なことはしないし、声の掛け方もいたって粗野ではない気がした。また、イライラ感がないのは随分と対応に差があることと思ったりする。

途中で、小林薫が出てきて、新垣結衣に関しては、木村が自ら道場入りさせたということがわかる。まあ、個々に合わせて教育しているというよりは、ある意味その奥底にエコひいきがあるのだろう。風間公親という人間はすごく完璧に見せてはいるが、かなり偏った男であり、そこを見せることで人間臭く描こうとしているのかもしれない。

だが、やはり、風間という人間を現代の一つの投げ石のようにして、共感を得たいのなら、彼のプライベートが垣間見れるようなところも見せないとダメだろう。これでは、ただの仕事人間でしかないし、私としては、そこから学ぶところは全く見えてこない。一般の人にとっては、犯人が仕留められなくてもいいことだし、その向こうにある人間的な学びが見たいのだ。

今回の事件は、法医学の現場で起きた殺人事件。出世のために自分のミスを隠そうとした教授を仕留める話。ドラマ的には「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」のように、最初に犯罪現場を見せているわけで、そこにどう風間と新垣が辿り着くか?という作り。

今回も、前回と同じように、風間や新垣が疑問に思ったところは描いてはいるが、その結論に達した推移が描かれていない。これが、このドラマの大きな欠陥である。証拠がないままに、推論を犯人に投げかけながら会話の中で落とすやり方。これが、刑事の一つの手法かもしれないが、木村も新垣もエスパーのように簡単にそこに辿り着いてる感がある。この辺りは、原作に深みが足りないせいなのかもしれない。こんな話の原作を読む気は全くないが・・・。そう、原作を読みたくなる感じがないのもマイナスポイントだ。

今回も犯人役の佐々木蔵之介がしっかり芝居してるから、ドラマが成り立ってるが、この事件で佐々木がおこしたミスも今ひとつ見ている側にインパクトがないし、出世のためとはいえ、そんなことで教え子を簡単に殺すか?とか思ったりした。そう、先生と教え子の関係をそんなものと解釈してるから、風間先生も本当に刑事が育てたいのか、交番勤務の人員を増やしたいのかよくわからなかったりするのだ。

今回の新垣にしても、シングルマザーという設定で、最後には「お前は自分に弱音が吐けないことが欠点だ」などと、知ったようなことを言う風間。これも、オチとしては弱すぎる。まあ、前回の赤楚の弱点をついたところも、今回のこの話も、風間自身が通ってきた道なのかもしれないが・・。で、思うのだが、よく男の人生が背中に出るみたいなことを言うが、そう言うのが風間には全く見えないのですよね。そう、BSで今度再放送があるみたいだが、「男たちの旅路」などでは、主役の鶴田浩二がそんな自分の背中を見せながら、社会に対する自分の意見をちゃんと説教していた。それが作者、山田太一の分身だったりする感じだったのだ。そういう部分がこのドラマには全くない。確かに警察官には犯人を落とす技術は必要だろうが、それ以上に、風間が教えるべきは、刑事とは何か、それを職務とする人間とは何か?と言うことだろう。そして、彼の経験値の中で、社会に対する意見を言わすべきだ。それを聞いて生徒が旅立つドラマなら私は認めるが、結局はそう言う部分がない以上、いろんなところでスカスカなのだ。

結果的には、ただただ、辛気臭い古畑任三郎みたいなものなわけである。まあ、新垣結衣の芝居を久々に見れたことは嬉しかった今回ではあった。

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