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「アジアの天使」異文化交流の中で天使を見つける虚ろなロードムービー

石井裕也監督、「茜色に焼かれる」に続いての公開作品。オリジナル脚本は、韓国という未知の場所を舞台にしながら、しっかりと現代の不安を抱えた中での人生のリセットを描いている。大きなドラマがあるわけではない。仕事に失敗したオダギリジョーと池松壮亮が、韓国人の三人の兄妹たちとともに、縁があって旅をする。目的は兄妹たちの母の墓参りなのだが、そこに、自分たちの人生も重ね合いながら、未来を見つめるような話。

まず、役者たちが皆良い。ドラマがあまりない分、それでも引き込まれるのは役者たちのキャラが明確だからだろう。池松が最後に「愛してる」というチェ・ヒソは、最初にショッピングモールで歌うところで、観客に印象付ける。そして、次が池松の前での涙する演技。ここから最後までチェは物語の天使の役目をしっかりと努めている。

この映画では先に韓国にいたオダギリでさえ、韓国語はほとんどできない。ましてや池松は日本語で通そうとする。つまり異国に放り出された日本人が、表情だけで韓国人と交流しようとするということがこの映画を面白くしている。そう、なんとかやっていけるものなのだ。そして、チェと池松は途中から英語で話だすが、初めは、表情のやりとりだけで気になる存在というのも面白いし、そこのところをうまく映像に紡いでいる。

そう、男にしたら、気になり出したら、そこにいるのは天使だ。そして、恋みたいなものが、神のいたずらで動き出すみたいな感じがいい。そして、途中からロードムービーにしたことで、その目標のない旅は人生を振り返る旅になる。こういう映画は好きだ。

彼らが列車に乗ったのは、化粧品の輸出で騙され、昆布を取引に行くということだったのだが、その辺りはきっかけでしかないということだろう。池松が息子を連れて韓国に来た流れも天使に呼ばれたと最後には納得してしまう映画だ。しかし、最後に出てくる天使、要らなかったのではないか?ブサイクな天使は想像した通りだったが…。

しかし石井監督は、韓国での撮影を実に冷静に濃厚ににこなしている感じを作品に感じた。映画全体の澱んだ色の感じも良かったし、韓国の俳優陣に助けられた部分は大きいのだろうが、味のある映画に仕上がっていた。ラスト、池松が韓国の家族と普通に食事しているシーンで終わるのは、監督の未来への思いなのだろうか?世界中がパンデミックでさまざまなことを考える中、個々の国の人々がこの映画を見てどう感じるのか?とても聴きたいと思った。特に舞台となる韓国ではどういう反響があるのだろうか?

そう、さまざまに問いたくなる映画である。そんな中、私とて、今日も天使を探しているというのが本音のところなのかもしれない…。


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