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「妻、小学生になる。(第9話)」人が人を愛しく思って暮らすという本質の提示?

昨日、朝ドラ「カムカムエブリヴァディ」で、終戦の日に、松村北斗演じる稔の霊が帰ってきて、今を生きる孫の深津絵里と話すという、なかなか感動的な場面が描かれていた。そう、日本のお盆というものは、そんな奇跡が起こる時なのかもしれない。ある意味、日本の文化として、霊は今生に戻ってこれる道を作っているのである。そう、だから、このドラマも決して奇想天外な話でもないということなのだと思える大人になった私だったりする。

全てが、元に戻ったと思わされた先週から、今週は第一回目のゾンビに戻った堤真一。だが、ここで最終回でないのは、この回と次週の最終回が、このドラマの提示しようとする本質なのではないかと思ったりもした。

今回は、成仏できない、石田ゆり子の霊が主人公と言ってもいい。そうか、霊と言うものはこんなふうにすぐ隣に並んで見守っていたりするのかと思ったりした。それを感じるかどうかは、生きてる上でどれだけ広く深く、この世の情報を取り込んでいるかどうかだったりするのだろう。だから、この霊たちの芝居がなぜかリアルに見えてきたりする。そう言う点で、ここまでのドラマのありようはともかくも、今回は秀逸な霊たちの芝居が見られたと思ったりした。

そう言う意味では、寺カフェで、神木隆之介と石田ゆり子が存在を知らないで隣に座り、和尚が気を使うシーンはなかなか秀逸であった。そこに、小説家の霊も加わると言うのは、ちょっと安易ではあるけどね。というか、この小説家が女の子に憑依する話を、メインの話と一緒にパラレルにもう少しドラマ的に膨らました方が面白かったんじゃないかと思ったりするのだが、どうでしょうか?憑依される出雲ちゃん役の當間あみ、なかなか雰囲気がある娘でしたね。これから来るのでしょうか?

そこを描く分、毎田暖乃の存在はこの回ではあまりフォーカスされない。だが、考えれば、あの石田が憑依した芝居を完成させていた毎田が、ここにきて普通の小学生をさらりと演じているのは奇跡的ではある。そして、平和に吉田羊と暮らす彼女に視聴者はホッとするわけで、そう言う点で、毎田がいたから、ドラマはここに至っている。その事実を考えれば、やはり彼女あってのこのドラマだ。

今回のラストは、全てが、日常に戻っていく中で、最後に成仏できない石田に、毎田の霊から憑依し返すみたいなことなのだろうか?まあ、憑依アンコールして、家族たちの未来を明確にしてあげるという流れなのかもしれない。それは、杉野遥亮や森田望智の未来でもあるのか?大きな盛り上がりはないラスト前ではあったが、いわゆる元気を失くした人々へのエールになるようなラストになれば、それは印象深いものができるだろう…。

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