「にじいろカルテ(第2話)」優しい温度、高畑充希の心のぎこちなさの表現に現在を思う
優しさを表現するということは、思いのほか難しい。それは、リアルな世界で私たちが気づいていることだ。気持ちと言葉が裏腹だったり、「そんなつもりではないのに」という受け取り方をされることも多い。
このドラマにある、地域医療の場合、地域の人々とのコミュニケーションがその価値を何倍にも倍増し、優しさを共有できるということはわかる。漫画で書かれた人々の健康の地図は、まさに、この地域の見える化である。それは、インターネットなどという道具を使わなくても、心は繋がっているという感じなのかもしれない。
でも、村人の水野久美との電話でのコミュニケーションは、今風のコミュニケーションの発展系だったりもする。寄り添うこと、孤独と闘わないこと、そういう優しさのありかが、高畑充希との電話の中にある。そう、留守電で「森のくまさん」を歌うだけでいいのだ。最新機器をインフラをどう使うか?ということにも触れているのだ。そういうことを自然に受け止める時間が持てれば、こんなコロナ禍だって、楽しく生きていけそうな気がする。しかし、水野久美さんは、年齢を重ねても印象的な女優さんですね。
ここで描かれるのは、当たり前の、いやファンタジーなのかもしれないが、理想的な人間関係だ。高畑充希という女優さんは、そんな普通の表情がドラマでできる人で、観ている人の心を引き込んでいくようなお芝居をする。そう、今、こういうお芝居ができるのは、高畑だけなのかもしれない。彼女の心の想いが、沁みるように映像に投影されていく気持ちよさというものがある。
このコロナ禍では、テレビに、そんなにエキセントリックな表現は必要ない気がする。芸能人を追うゴシップ番組などそうでなくてもいらない気がするが、とにかく今は、心が和む時が過ごせるものが欲しい気がするのだ。このドラマ、家族で見ていても和むだろう。それぞれの年代の話が満遍なく入っている。まさに、ここは「虹の村」である。
高畑が料理ができないという設定。それが「女のくせに」とか言わせない流れになる。そう、今に蔓延する古臭いジェンダー問題にもメスを入れている。井浦新のキャラも面白いが、北村匠海とともに、3人の中でどういう化学反応が起きてくるのか?それも楽しみだ。
とにかくも、現代に疲れてしまっている私たちが「忘れられたもの」「求めるもの」がこのドラマの中に詰まっている感じが愛おしい。多分、脚本家はこのコロナ禍の中で考えたことを、シナリオとして具現化したものだろう。それを、ちゃんと虹色に演出しているスタッフ陣も素敵だ。
主人公の不安定な心と身体が、これからどのように成長していくのか?いや、そんなに前に進まなくてもいいのだろう。日常がしっかり過ごせて、人の笑顔につながることが毎日あれば…。そんな役に高畑充希は適役である!
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