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「95(第8話)」 1995年、まだレールが敷かれていた中での青春。そして、「力」の先に突きつけられる拳銃

ドラマの季節は12月に入っていく。花火を上げるのも近い。そこで打ち合わせする渡邊圭祐。いつの間にか彼らに馴染んでるし、彼らのことを思っていたりする。いいやつである。と、同時に渡邊、やはりいい役者である。彼は主役でもっと使うべきだと思うのだが・・。

そんな中で、松本穂香の子供である桜井ユキの父親の話も進む。桜井が8月生まれだということで、安田顕は、彼女の父親は中川大志だろうと勘づく。その前にこの間、一回ホテルに行った時には、勃たなくてできなかったというオチは、まあ、高校生ならではの話なのだが、それはないぞと思った私であった。そして、松本が援助交際をやっていたこともわかる。その向こうに、反社の三浦貴大がいる。と考えると、この松本の役、かなり複雑な役なのですよね。ちょっと松本ではいい子すぎる気もするが、他に誰にしたらいいかは思い出せないので、いいのかな?

ある意味、この話は、その渋谷の主的に動いている三浦をぶっ潰すことで終焉を迎えるということだろうか?それが、何になるということなのだが、何かを破壊しないと前に進めない感じはわかる。そう、ここで描かれる渋谷は今から30年前の姿だが、たった30年で渋谷はちょっとダサくなってきましたよね。今やってる再開発が終わった時に、そこに若者たちが闊歩してるかどうかは疑問符が残る。というのも、先週、久しぶりに渋谷駅に降りて、なんかあまり前向きには見えなかったんですよね。私たちが生きた渋谷の汚れが勝手に消されているような気がして・・。

そんな1995年の中で、高橋海人は、三浦と決着をつけてというか、その時と決着をつけようと動き出す。そこで、母親は、「今までやってきたことが全部無駄になる」という。そう、まだこの時代は、レールに乗って、いい学校に行って、いい会社に行くということが親が最も望むものであった。今でもそう思って塾に通ってる若者も多いのかもしれないが、それを捨てたって、何も無駄にはならない。必要なのは、個人が強く思う夢である。正直、ここでの三浦みたいに売春や薬で潤ってる奴らに突っ込んで行ってもあまり意味はない。どちらかといえば、そこは避けるべきところだろう。だが、この時代、喧嘩に明け暮れてストレス解消する時代には、避けるという選択肢はあまりなかったということだ。この辺りは、今の若者に言っても分かりにくい気がする。

多分、これ、この先に高橋や中川が三浦をぶっ潰そうと対峙するのはクリスマス前後なのだろう。そして、花火は渋谷に上がるだろうし、そこで彼らの青春が散っていく感じになれば、ドラマは成功か?

本当に、このドラマ、今の若者たちが見たら、どんな印象を持つのか?こんな前が見えないような生き方は無駄だとでも言ってくるかもしれない。でも、青春なんていうものは、無駄がいっぱいあるからこそ楽しいし、その無駄が後の人生を生きる肥やしにもなるんですよね・・。

で、最後に拳銃出てきちゃたけど、どうするんだろ?

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