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「にじいろカルテ(第5話)」人間とは面倒くさく、屈折しているのが普通?

ドラマの折り返し点ということなのだろう、先週の土砂崩れで、井浦新の過去が表面化してきて、それを高畑と北村に語ることで、ドラマの半分を使った回。多分、この話は、このドラマを作る上での大切なことなのだろう。そう、井浦は、都会から逃げてきたのだ。そういう忘れない過去を抱える人に田舎の生活は心を生まれ変えさせる。それは、高畑も同じであろう。

とにかくも、今回は新しいドラマはほぼほぼない。突然にテレビ局の訪問で賑やかな村の人々。そんな中で、高畑と北村が井浦の過去について「何があったのだろう?」と話している。それを感じる井浦。そう、都会で多くの人に囲まれていると他人のことなど感じる余裕がなくなってそういう「虫の知らせ」も感じなくなっていく。だが、こういう小さな村では、暮らす人は全て虫と同様に、さまざまなことに敏感になっていくのではないか?と思ったりもする。

そして、井浦が、長々と自分が大きな病院にいて、爆破事故のトリアージをしていて、爆破の犯人を救ったのに、妻を死なせてしまった話をする。それを粛々を聴く二人。この事象でこれだけの時間を使って話を聞かせることができるのは、連続ドラマの強みである。脚本家には、井浦が大きな病院から、この小さな村にやってきた意味合いがすごく重要だったのだろう。そして、そのシーンに妻役の佐々木希が居るように描いていく。そう、井浦は農業をやることで彼女と一緒にいるのだろう。それが、いいか悪いかというよりは、人の縁や人が人に力をもらうというのは、存在しなくても有りだと言うことだ。

高畑も北村も、それを聞いてどう向き合っていいかわからない。だが、色々と考えてしまう。この回は、色々と考える回だったようだ。

北村が冒頭のテレビ局の人の怪我に対して看護師らしい適切な対応をするシーンが最後に結びついてくるのだが、こういうさりげない気づきや優しさも虫のような心持ちからくるのかもしれない。さりげない普通の脚本に見えるが、結構、奥が深い優しさを感じる回だった。

そして、北村は、井浦の話を聞いて、自分は至って普通だし、そんなに強くもないと感じて悩んだりもする。そう、ほとんどの人は、北村が自分で言うように「何もない系の人間」なのだ。だから、打ち明け話っていうのは本当は辛かったりする人間の方が多い。そういう意味で、ドラマや映画などみない人もいるのだろう。

このドラマはどちらかといえば、特にヒーローは出てこないのだが、そこの中でもこういうことが起きるということが人間社会なのだろう。人が集まれば優劣を考えたりする。どんな場所でも、結局は人は人にそんなに優しくないのかもしれない。

という答えが、最後に北村が村の放送で歌う「俺以外は死んじまえ」というパンクロックみたいなものなのだ。最近、ネットで「メタル」が身体にいいという記事があったが、こういう普通の人が、異次元に身を置いて、言いたいことを言えるなら、それは健康的なのかもしれない。村のいいところは、大音量で音楽を聴いたり歌ったりする場所もあるところかもしれないなと思いながら、ドラマは終わって行った。

まあ、それなりに面倒臭さもあるが、こういう村に住んでのんびりしたいと思う、春近い今日であります。

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