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「ある男」戸籍を変えることで、人は違う人生を歩めるのか?

ラスト、一気に洒落ぽい世界に観客を放り込む。そして、最初にも出てくる、顔の映らない鏡の画が出てくる。これは、ある教訓の寓話のようなものなのだろう。そして、自分の人生を現在あまり素敵に感じていない人は、この映画を見てどう感じるか?という話である。

平野啓一郎原作の映画化。彼の文体のように、監督、石川慶は坦々と映像を紡ぎ重ねて行く。実際、形態としてはサスペンスの部類に入るのだとは思うが、主人公の父親が罪を犯しているだけで、出てくる主要人物はいたってまともな良識人である。だから、最初から続く謎が解けたところで、それがドラマチックに描かれることもなく。どちらかといえば、「自分の人生とはなんぞや」という哲学的な後味だけを残す映画である。それが、今ひとつ映画的な面白みに昇華されにくい部分はある。

主要人物の3人、妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝の演技はなかなか緊張感があっていい。妻夫木君は、見た目こそ昔のままだが、随分とおとなの空気感をかもしだすようになったなと思ったりもした。そういう目で見るとなかなか役者にとっては後に重要な作品と言われるのかも知れない。そういう点から見たら2時間、その世界に没入できる作りにはなっている。

しかし、最後の謎が開くところで、仕込んであったFacebookが種明かしをしてしまうのは、少し短絡な感じがした。これは、原作もそうであるのだと思うが、映像にしてしまうと尚更そう思える部分がある。昨今のドラマや映画ではスマホの画面、SNSを出して物事を解決してしまうようなことも多いが、今ひとつ映画の中までそういうものを見たくないという意識が働くことがある。サスペンスなら尚更だ。

あと、妻夫木が見た妻のスマホのLINEがオチになっているが、映画でSNSがオチで世界を包括してしまうようなのも、私的にはあまりいただけないと思った。見ている時点では、笑ってしまうが、この映画をリピートする気にはならないですよね。なんか、これが2時間の映画をぶち壊しにしてしまったと思う人も多いのではないか。とにかくも、映画の中のインターネット世界は扱い方に注意すべきだ。

この映画自体が、戸籍の取り替えというアナログな話だし、柄本明がどうやって戸籍の入れ替えを行なったのかというところが出てこないのも、今ひとつ不親切な気がするし、あと、窪田と戸籍を入れ替えた仲野太賀に関してほとんど語られない状況も、モヤモヤが残る。戸籍を変えたことで人生は変わるのか?という命題に答えが出ていない・・・。

そして、安藤サクラの涙だけが有機的で、他が全て虚飾の中にある状況が、見終わった後での、心の持って行きどころがわからない映画なのだ。そのあたり、監督の意思みたいなものもよく理解できない。

そう、平野啓一郎は推理作家ではないので、原作がサスペンスという土壌で書かれたものではないことはわかるが、この戸籍偽造の話を松本清張が書いていたとしたらどんなサスペンスに持っていくか?というようないらないことを考えてしまった私である。

映画は映画として、もっと有機的に存在してほしい。


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