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「百花」丁寧に作り上げた、人間の記憶の物語。原田美枝子という女優の現在の凄みを堪能できる一作

菅田将暉、長澤まさみというところの出演が、この映画の客層を決めたりするのだろう。そして、映画の中の二人は、見事に良き夫婦を演じていた。しかし、この映画の主人公は原田美枝子だと私は思う。彼女の演技なしにこの映画は成立しないし、同世代の女優がこういう役をこなし、演じる歳になったのだということで、自分自身が緊張感を持って生きていかねばと思わせる一作だった。

ファーストシーンから、ワンシーンワンカットを基本として画が紡がれていく。説明は最低限に抑え、そのカメラの動きが原田美枝子の混沌としていく脳裏の映像のように感じられるように映画は進んでいく。ここがなかなか秀逸である。もちろん、アルツハイマーの人の感覚は私にはわからないが、昔の記憶がループして、一気に違うところにワープしていく感じは、こんな感じかな?と思ったりしたわけである。医者に見せにいく前のスーパーマーケットのシーン。同じことを3回繰り返す原田。そして、幻のように知り合いを見つけ、走り出す。こういうシーンを私もいつか見るのかもしれないという恐怖感も感じさせるシーンだ。この映画は、原田の主観に近い形で映像が回っていくのだ。それにより作品の質が決まってきている言える。そして、その原田の演技は圧巻というしかないだろう。彼女のそれを見にいくだけで、この映画を見る意味はあると断言できる。

初めは現在の多分60歳になるかならないかの原田が出てくる。いわゆる菅田の母親としての原田だ。そして、映像はあるところから、一気に彼女が30歳くらいのところに飛ぶ。この転換点が、なぜここなのかは後にならないとよくわからないのだが、全て見終わった後には納得がいく場所で、時間が前に戻る。

そして、若い原田が本当にその年齢に見えるからすごい。多分、歳とったところも、若い姿も両方もメイクのなせる技なのだが、多分、女優、原田美枝子がその年齢になりきらないとこの演技は無理である。若いところでは、永瀬正敏とのラブシーンもあるわけで、そこもなかなか美しく描けている。その回想シーンが、また元に戻るところが、阪神大震災なのは、「うまく使った」としか言えないのだが、何かきっかけとして良いものが欲しかったのだろう。原作者は、原田が何故、一度は捨てた我が子の菅田のところに戻ったのかということを考える中で、これを考えたのだろうが、ここだけは、ちょっと私はいまだに違和感がある。その転機という以外に地震を描く意味がないからだ。

そして、そこからは、介護ホームに移り、どんどん老けていく原田の姿が描かれ、息子の菅田がわからなくなるまでの物語。そして、それとほぼ同時に孫が生まれるが、それを抱くこともできない原田という絵面で終わる。私的には、自分の孫とわからぬまでも、それを抱く原田が見たかった。そして、生命の承継みたいなものを感じさせても良かったのではないか?記憶は無くなっても、そのバトンは受け継がれるみたいな。

仕事上の話で、AIのアバターの話が出てくる。いろんな記憶を入れすぎて、なんだかわからなくなったという話。そして、「記憶をなくす機能もつけるべきでは」という話になる。人間の記憶というものは、認識の強いものだけが見事に残っていく。確かに忘れることが幸せな部分も多々あったりする。しかし、最近、脳を語るときに、顕在能力と潜在能力という話が出てくる。アルツハイマーになったときに明らかに失われるのは顕在能力だ。それなら、そこを潜在能力で補うことはできないのだろうか?まあ、顕在能力と潜在能力の通信を行うシステムが壊れてしまうということなのだと思うが、その辺がもう少しわかってくれば、アルツハイマーが怖くない時代がくるのかもしれない。このAIの話を入れ込んでるのは、原作者が未来にある程度の期待をかけているというふうに、私は読み解いたのだが、違うのだろうか?

とにかくも、この映画、説明過多にならずに、作者の言いたいことは言えている良い映画だと思う。ワンシーンワンカットの多様もうまくいっている。多くの映画をプロデュースしてこられた、川村元気氏の、原作、脚本、そして初監督作品だ。日本映画らしい作品だと思うし、次の作品が楽しみというところである。

ラスト、自宅から見える花火を見て、記憶を失っていたのは自分も同じだったという着地点は、なかなか素敵でした。

そういえばアカデミー賞の国際長編映画賞の日本代表作に「PLAN75」が決まったというニュースがあったが、同じ老人を扱ったものとしては、この映画にして欲しかったなと私は思う。ここに出てくる、老人は、簡単に燃やされたり、捨てられたりしませんから。やはり、映画には確実な「愛」を感じさせてほしいのです。


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