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「不適切にもほどがある!(第3話)」放送基準のわからなさと八嶋智人の存在感?

今回は、阿部サダヲは昭和のスタート。帰ってみれば吉田羊はお母さん状態で待っている。息子は「早く寝ないとチョメチョメしちゃうぞ」と言うえげつない番組を見ながら勃っているが、昭和の深夜テレビがそのまま再現できない今っていうのがいいのかどうかはよくわからない。だが、そんな時代を知らない人は本当に画面の前におっぱいが飛び交い、男たちがその時間にみんなテレビの前で勃たされていた事実を理解できないだろう。ただ、その雰囲気だけを出せていたセットは美術さん頑張ったとしかいえない。

そして、そんな番組に高校生の河合優実が出演することになるわけだが、これはないと思う。流石に女子高生は出るなら「銀座NOW」か「TVジョッキー」というところだが、そんなものは86年にはとっくに終わっていたし、86年というと、いわゆる週末の深夜番組の過激化が一気におさまったというか「いい加減にせい」と言って終わっていった時期だ。ということは、86年はテレビがつまらなくなり始めた頃と言ってもいいのかもしれない。とはいえ、音楽番組としては「ザ・ベストテン」は89年までは放送していたわけで、そう考えると、昭和が終わるとともに、テレビは終末期に入ったと考えるのが本当のところだろう。そして、テレビの敵となるPCのOS、Windowsの初版が1985年発売だというのを考えるとわかりやすいでしょう。

そんな、真面目なドラマではないと思うが、今回の1986年と2024年のテレビスタジオをカットバックするようになぞって、違った問題が起きてるのに、異質感なく繋がれてる感じは、もう、傑作としかいえなかった。そして、ドラマが終わる時には、「テレビって、結局くだらないよね」とキョンキョン気分で叫べる感じがとても良かったです。

まずは、昭和のテレビは、とにかくえげつなかったし、こんな感じのカオスがあって、それがデザインとして格好良かった。そして、デザインがどんどん変わっていったといい。そして、そこに弾けるおっぱいや篠山紀信の写真で、女の子のおっぱいってこんなに千差万別なんだと勉強したものだ。悲しくもしたのオケケはまだ未開の地とされていたが・・。そして、深夜番組はエロの中に教養も仕込まれていたわけで、その頃の大橋巨泉や藤本義一などから教えられたことは数多い。ここで出てくる、ロバート秋山は、多分、山城新伍とケーシー高峰を足して割ったようなキャラだが、河合優実が倒れた時に、とても紳士になっていたのが昭和の男風ということだろう。そう、片方で千人切りだといいながら、優しさも持ち合わせた感じが大人の男として格好良かったのだ。そう考えると、昨今、糾弾された金髪男は、ただスケベな部分しか強調されず、それが令和の男像とも言えるのかもしれない。そんな男たちに、女たちは種馬以上のものを感じるか?という話だ。

それに対し、令和のテレビ局では「プレミアムサタデー」などという、ターゲットもよくわからないバラエティーを放送していて、その司会者が番組内のアシスタントを4股していて、それを週刊誌にリークされてしまい、番組の命運がかかってるという話。そこに、代わりの司会者に先週から名前がよく出てくる八嶋智人が実名で代役を勤めるが、普通に話してるつもりなのに、いちいち、コンプライアンス的にダメだと言われ、CM明けに謝罪し続ける羽目に。そして放送中にSNSにリークが出て、混乱の中、八嶋がけん玉するという謎企画にすり替えられる。そう、今のテレビなど面白くないという理由をつぎはぎしたような話。そして、オチとしては、実は4股ではなく6股で、一人は男だったという流れ。ぜひ、今の金髪野郎問題も、最後は男の証言者が出てきて欲しいものだ。それが令和だ!!

という中で最後は仲里依紗の電話によって、令和に戻ってくる阿部サダヲだが、昭和のエロ番組で居心地が悪くなるという、一瞬で令和に影響されてしまった感じが面白かった。というか、私たちも、徐々に洗脳されて今にいるわけで、世の中って、そんな感じで価値観など簡単に変わるのだよという話である。だから、今日、格好悪いと言われる君も、明日は格好良く世の中に支持されるかもしれないのだ。みんな、頑張ろう!

というか、最後に出てくるミュージカル風味は、実に爽快感を醸し出すね。そして、今の日本の役者たちはミュージカルやらせても違和感ないじゃないかと思ったりする。今、ミュージカルというと劇団四季とか、東宝が帝劇でかけてるものくらいだが、もっと、普通に新作ミュージカルが作られていく時代もそう遠くはないのかもしれないとも思える、この時間である。

あと、今回は、タイムマシンの発明者の三宅弘城が登場。タイムパラドックスの話をするが、自分が過去に戻ろうとして、自分のいるところに帰ったらそうなるだろうと思うのだが、とにかくも阿部サダヲに礼が言いたいというわけだ。もはや、阿部は時空を行き交うし、若き日の三宅は三宅の息子と友達になるという危ない状態にある。こんなことが許されるのか?と思っていたら、阿部と仲はキスしたり抱き合おうとしただけで静電気のようなバリアに阻まれる。どうして?この二人はどういう関係にあるの?と思う訳だが、もはや時空は壊れてるし、宮藤官九郎はどういう世界観を作っているのかはとても興味あるますよね。今回も長々と書いてしまった。それだけ、豊富な情報の中に持っていかれるドラマだということです。今回も満腹でした。あと7回もあるんですが、御馳走三昧という感じですね!

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