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「ウェスト・サイド・ストーリー」スピルバーグは、映画はこういうものだと言いたいのか?久々に素晴らしきシネマ体験をしたと言える映画

それなりに期待していたのだが、期待以上だった。公開2日目、夕刻の東京で一番大きなスクリーンのIMAXは、6割くらいの入り。感染が広がってるせいもあるかもしれないが、(それよりも公開スクリーンの多さの割に見たい人が少ないと言うことなのかもしれない)この映画にこの入りは寂しい。だが、終わった後に拍手する人がいて、私も続いた。そう、拍手したい映画だった。名作のリメイク。まあ、普通は最初の作品を越えることは難しい。名作として、皆の脳裏に明確に刻み込まれているからだ。

だが、それをスピルバーグ監督がやるとこうなると言うことだったのだ。本当に素晴らしかった。多分、監督は、自分自身が観たい「ウエストサイド」を作るということにしたのだろう。1961年のロバート・ワイズ版の公開時にスピルバーグ監督は15歳。この映画が印象に残らなかったはずはない。それに敬意を表するからこそ、この製作に至り、その名作に自分が物足りない部分を埋めたような新作であった。

1961年の名作を私は一昨年、劇場で見直している。その暮れにもこの映画が公開予定であり、パンデミックでシネコンの名作上映が続けてあったからだ。画も音もデジタルリマスターのものを見て、やはり名作だと思ったし、最初から最後まで移動撮影の多い映画だと思った。多分、当時の最新鋭の撮影機材を使ってダイナミックなミュージカル映画を目指したのだろう。そう言う意味では、何度リピートしても凄みのある映画であった。

そして、昨日、それを底本としたリメイクを見るときの心のざわざわ感は並のものではなかった。(この後、前作との比較を含めネタバレがあります。見たくない方はここで止めてください)

まずは、冒頭、前作は前奏曲に被って、マンハッタン島がイラストで始まり、色を変えながら実景になり、ジェット団が街を踊り出す。それに対して今回はかなり最初に「WEST SIDE STORY」のタイトル。そしてスラムが壊されていく様子が描かれる。時代的に、前作よりも少し後の時代を描いていると言うことだろう。そこから、思いもかけないところから出てくるジェット団。手にペンキの缶を持っているために、前作のような派手は踊りでもない。でも、しっかり画面全体を使ってのお披露目はできているし、カット割の妙も最初からフル回転。行き着く先はプエリトリコの旗が描かれる壁。そこにペンキを叩きつけていくジェット団。そして当たり前のように喧嘩が始まる。この冒頭は、監督が、この話の底辺にある人種差別問題を明確にしたいという意思が強く読み取れる。役者も完全に、人種を分けてオーディションしたようだし、その他民族への憎しみみたいな空気はラストまで明確なまま大きなテーマとして描き出される。これは、監督が現在も続くそのことへの強い提言をしたかったのだろう

そして、大事なマリアとトニーの出会いのシーン。とても美しい出会いのシーン。ここは、「ロミオとジュリエット」そのままでいいじゃないか!と監督は演出したのだろうと思う。そして、ダンスパーティーが終わり、一目惚れしてしまったトニーはそのままマリアのアパートに。この展開、多分、前作より早い「恋は熱いうちに打て」とでも言うように、有名な階段の「トゥナイト」の歌われるシーンに。多分、前作ではここが終わって「休憩」が入る形だったので、映画の中盤だったのだ。今回は、その後にさまざまに膨らましたシーンがあるので、こうなったのだろうが、この恋の速度の勢いはすごくいいと思った。

そして、この主役の二人は前作に比べすごく良い。前作は彼らよりジョージ・チャキリスが目立っていたりするので、あまり印象がないのだ。マリア役だったナタリー・ウッドもイスパニア系の人ではなかったから、この雰囲気は出せなかったと言うことだと思う。今回の主役、トニー役のアンセル・エルゴート、マリア役のレイチェル・ジェグラー。これからが注目の人になるのだろう。特にマリアは、これはマリアだと思わせる雰囲気がチャーミングさが、とてもみていて安心できた。

そして、この階段のシーンも満喫したすぐ後の「アメリカ」が歌われるシーンは断然、今回の方が良い。黄色と赤の衣装が印象的に街を埋め尽くす。監督は古のMGMミュージカルにあるような活力的なものを撮りたかったのだろう。それはここに極まれりと言う感じ。スピルバーグにミュージカル?と言う問いもここではっきり吹き飛んだ感じ。彼はミュージカルが好きだ、きっと!

そう、少し衣装のことを書いたが、衣装の色の合わせ方。シーン毎に色を感じさせる見事さはなかなかステキ!スピルバーグが鈴木清順的な配色をするなんて!と驚く。清順というよりは、テクニカラーの色調みたいなものを出しかったのだと思う。私は、こういう色調が大好きだ。

あと、喧嘩に向かう場面での「トゥナイト(クインテット)」が流れるときのカット割は、かなり注視して見ていたのだが、圧倒的にデジタル編集を強みにして格好良く撮られている。そういう場面は全編に多く、構図とカット割をとことん計算した結果みたいなものにニコニコできる映画だったりもする。

あと、あちこちで書かれているが、トニーが働いている店の主人役が、リタ・モレノ。前作でアニータを演じた彼女がここにいる。それは、この話のどっしりとした根っこのような存在であり、この映画と前作をつなげる大事な配置な気がした。ラスト近く、アニータ対アニータのシーンは、緊張感があって良かった。この映画のプロデュースの一端を彼女がやっていることにも大きな意味がある。そう、この映画のリメイクのプロジェクトは、前作でできなかったことをやって完成させるためのプロジェクトなのかもしれない。

だから、前作にはなかった、電車に乗ってトニーとマリアがデートするシーンとかにより、二人の関係もすごく有機的にこちらに迫ってくる。先にも書いたが、「ロミオとジュリエット」そのものも一緒に映画化してる感じがした。一つひとつのシーンがすごく愛おしい映画になったことは、本当にたまらない感じであった。

その分、シャーク団に入隊したい女の風景などは、前作よりは薄い扱いだった気はするが、最後に「ダチ公」と呼ばれるシーンは前作以上に良いシーンになっていた。

そして、ラスト、どう持っていくのかと思ったら、前作では沈黙だったマリアに凄い主張をさせる。これは、監督が絶対やりたかったことだったのではないかと思う。私も、前作の静かな最後がどうも納得していないところがあり。それは、観客のみんなが考えてください的なことだったのだろうが、やはり、こういう風に、監督の意図を出演者に語らせるのがわかりやすい。そして、ここでのマリアの演技がとても良かった。一つ間違えれば、ジュリエットのように自分を撃つことも可能なシーンにして、そうしなかったのも、それでいいと思う。

ラストシーン、事件の後始末をしているところを階段を前に置いて映す。そう、「ウエスト・サイド・ストーリー」のアイコンはこの階段である。凄い格好いいラストだった。

観終わって、拍手の渦が起こるようなところで観たい映画ではある。そして、1961年にこれを描いた当時と差別問題の悲劇はあまり状況が変わっていない。だから、半世紀以上たった今、前作をブロウアップするというか、再度、監督が作り上げる意味を強く感じたからこそ作った映画なのだろうと思う。

とにかく、多くのファンに、そして、まだこの話を知らない若者たちに、映画館で堪能してほしい作品である。それなのに、宣伝も足りないですよね。街のあちこちに大きな看板もない。そういう時代ではないといえばそうだが、多くの人に映画館で観てほしい映画なのだ。スピルバーグ、75歳で作るからこそ出来た作品なのかもしれない。まだまだ次作が楽しみである。

私的には、多分、この映画はリピート必須である。色々、確認したいところが多すぎる。そして、圧倒的な音響の興奮の中にもう一度入りたいと思うのである。



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