見出し画像

「日本沈没〜希望のひと〜(第5話)」田所博士の人間性がおかしくないか?

話はこのドラマも5話で折り返しのようだ。そして、第一部が「関東沈没編」で第2部が「日本沈没編」ということらしい。なんで、こういう分け方にしたのか?現在の日本政府が何度大地震が来ても、その備えをしっかりしないことを揶揄しようとしているのか?よくわからないが、ドラマとしては、この前半5回分は、最初から書いているようにあまり誉められたものではなかった。だいたい、沈没するような地震がきた後には、それ相応の数の余震が来るわけで、それにより人の心が滅入るのは、私も「東日本大震災」で体験済みだ。そういう部分はちゃんと描いてほしい。そう、今回もドラマの中にそういう災害の大きな不安感を感じなかった。

そして、ずっこけたのが、田所博士が、データだけで、関東沈没はこれ以上ないと断言してしまったことだ。原作では、ことあるごとに潜水艇で海の底を、日本海溝の様子を実際見に行っている。しかし、ここでの田所博士は、他人がとったデータだけが拠り所で、いつも何かしら食してるような描かれ方。その上に、これ以上沈没がないと決定づけたら、外国の大学のオファーを待っているような守銭奴である一面さえ見せる。そう、彼はこのドラマではヒーローでもなんでもない。なんでこんな描き方なのか?50年前に原作が書かれた時に比べて、それほど研究者の地位が落ち、レベルもこんなものだと言いたいのだろうか?とにかく、脚本家は、実際の地質の話などどうでもいいのだろう。そういう部分は避けて通っているようにさえ感じる。まさか、闇の組織の圧力ではないとは思うが…。描きたいのは政治のいい加減さだけ見たいな気がする。

だいたい、こんな田所博士だけに任せている状況がおかしいし、災害が起こった後の現場検証もちゃんと行っていない感じなのは解せない。この人たちは日本を守る気があるのか?というようにしか見えない。

そして、組織を外された小栗旬と杏は、家族を探しに危険な旅に出る。これを描くことで、彼らはまた元の組織に戻ることになるのだが、どうもしっくりこない。家族が大切であるということをここで描いておいて、一気に来週から移民の話まで持っていく気なのだろうが、なんか特に面白みを感じなかったりする。とはいえ、その旅の途中で出てきた漁師役のガッツ石松がなかなかいい感じ。歳をとったせいもあるが、こういう雰囲気を出せる俳優も少なくなったですね。

松山ケンイチや仲村トオルが、小栗に謝って、自分が間違っていたというのも、なんだかなぁと思う。実際は、こういうふうにはならないだろう。あくまでも自分の過ちを謝らないのが日本の政治家であり、官僚だと思うからだ。そういう意味では、小栗をはじめこちら側の人々も本当に日本を救うことよりは、家族を救うことが先になっている。それは当然だが、彼らには日本をもっと考える義務があるはずだ。あえて、そうさせていないのは、今のリアルさを描きたかったのか?ただ、ドラマ作りが下手なのか?とにかくもドラマの熱さは感じない状況だ。だから、総理が避難所に訪問に来る場面も、全く避難所には見えない状況…。

そして、最後に日本沈没の兆候を田所博士が見つけるわけだが、ここで次の別の博士を出してもよさそうな気もする。ここまでの田所博士のキャラ設定を失敗しているにも関わらず、ここからまだ彼に頼る日本でいいのか?と思うからである。まあ、バカとわかっていながら、次々にバカがトップになる日本国ならそうなのかもしれないが…。

先週も書いたが、私はパニックドラマが見たいのだ。そうなったら、あなたはどうする!っていうやつですよ!



この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?