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「BLUE/ブルー 」ボクシング映画が、目指すもの?それに、期待するもの?

ボクシング映画というので観にいく。まだ、昨年の「アンダードッグ」の残影が残る中での鑑賞で、やはり観終わった後の感想は「物足りない」というところだ。

映画は3人のボクサーの物語。日本チャンピオンを目指す、東出昌大。負け続けるボクサー、松山ケンイチ。ボクサー風の格好良さが欲しくて入ってきたが、リングに立つことのなる、柄本時生。

ファーストシーンでは、後で出てくる試合のシーンのリングに上がる前の松山の姿が映し出され、タイトル。そして、なぜか、柄本が働いているところにシーンが変わる。この辺りの初動がどうもリズムがよくない。ボクシング映画は1ラウンド3分のようなリズムが欲しい。

ボクシング映画とは、観ているものもその中で叩かれる感じが好きである。そして、終わった後の達成感というか、「何故、リングに上がるのか?」という問いに対する答えがさまざまに導かれてきた気がする。そして、私は影響されてきた。

この映画は、基本、勝てないボクサーたちの話であり、ラストは「それでも、ボクシングが好き」という映画である。それはそれで好感はもてる。だが、彼らの描き方がどうもしっくりこない。そして、私がボクシング映画にのぞむ疲労感も足りない気がした。

まず、この映画のメインである、松山ケンイチ。最近は、リングに上がると負けるボクサー。映画の中からも、それほど勝ちに拘っている感じはない。結局、画面の彼からは「何故リングに上がるのか?」というところの回答はなかった。

ただ一人、この映画の中でボクシングの勝利に酔う姿がある、東出昌大。彼は、どんどんパンチドランカーに陥っているボクサーということが、描かれる。松山や、妻になる木村文乃たちは、心配するが、「リングにあげない」ということは考えない。ラストの試合の後、その症状はさらにひどくなっているが、彼はボクシングを忘れられないという姿が描かれる

そして、その中に入って狂言回し的に新人ボクサーとなる柄本時生。彼は、中学生に殴られた自分を恥じ、ボクシングジムに少しは格好つけるために入ってくるが、何故かプロライセンスをとってしまい、リングに上がる。松山や東出に感化され、ボクシングを愛するようになるラスト。

描きたいものはなんとなくわかる。そして、松山、東出、木村の三角関係はそれなりにしっかり描かれている感じはした。でも、観客に「俺たちの生き方観てくれよ!」という感じではないのがいけないのだろう。

3人とも、ボクシングをやる身体を作ってこの映画に望んでいるのだから、それを最大限に生かす演出は欲しい気がする。特に前半は、ボクシングのシーンが少なすぎる。端おったのか、ラストに向けて出し惜しみなのか?

木村文乃は、こんな先が見えないが夢を追う男たちに愛される女役というのが似合っている。特に派手さがない美人だからだろう。ただ、彼女の役も、「何故にこの男たちから離れられないのか?」という疑問への回答はない。

やはり、観客は勝つにしても負けるにしても、爽快な試合がみたいし、納得いく結果が知りたい。怪我によるドクターストップのTKOなどみたくないのだ…。

作り手としては、それが、リアルなボクシング映画だ、ということなのだろうか…。


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