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「大豆田とわ子と三人の元夫(第9話)」 人はひとりで生きていけるか?夫婦とはどうあるべきが幸せなのか?そんなテーマ?

先週のドラマ上では、結構なフォーカスがかかっていた、オダギリ・ジョーとの結婚話は、今回の中盤まで盛り上げて、ぷつりと終わった感じ。次週の予告にはオダギリは出てこない。このドラマ、通り過ぎていく人は、通り過ぎたままに切り捨てていく。だが、市川実日子が演じたかごめの事は、今週の最後の松田龍平との会話の中でも出てくるから、それなりに大豆田の頭の中から消えないものという位置付けなのだろう。でも、そこに回想の絵は入ってこない。

最後の10分程度の、松田龍平との会話の中に、このドラマのテーマみたいなものが見え隠れしてきた。松たか子が「一人でも幸せになれるのか?」という問いを松田に放る。そして、松田との結婚生活がうまく行った場合の妄想が重なる。そして、最後の方で松田が答えのように「夫婦なんて、弱いところで繋がっているものなのかもね…」というようなことを呟く。

このドラマは恋愛ドラマではない。あくまでも、大豆田とわ子というキャリアを重ね、さまざまな男との関係を重ねてきた女性が、現代の都会にどう生きているか?というようなものを表現したかったということなのだろう。

そういう意味では、三人の夫たちは、ドラマの中では試験材料みたいなものである。こんな男たちと一緒に暮らしたら、皆さんならどうなりますか?という脚本家からの問いかけでもある。そして、突然出てきて、突然消えるようなオダギリ・ジョーを申し分ない相手みたいに見せることで、現代の幸せの虚飾みたいなものが浮き彫りにされていっている感じ。

ただ、10回連続のテレビドラマの構成としては、至ってわかりにくい。どちらかといえば、2時間の映画にまとめた方がわかりやすいのかもしれない。そう考えれば、この話は「花束みたいな恋をした」の少し間をあけた後の続編みたいにも見えてくる。

男と女は、人生の中で惑い続ける。そして、若い頃は一つの道に見えた、自分の人生が、あっちこっちに立ち寄りながら蛇行していることで、本質的に、自分を愛する気持ちを失ったり、他人に対しても寄り添うことが怖くなってしまったりする。そんな、人生中盤の不安定な心のありかみたいな不定形なものをドラマとして表現させようとしているのだろう。2021年というアンバランスな時代にはぴったりなドラマではある。そしてそんなドラマを多くの視聴者はどう受け取っているのか?興味があるところではある。

次週は最終回。まあ、そんな流れにはなってきたが、最後にもう一人男が出てくるようだ。大豆田とわ子という女性の不安定な感情の中に見える未来が、どこに着地していくのか(いや、着地なんかしそうにないが)楽しみではある。

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