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「終わりに見た街」確かに、今は戦後なのである。そして、アメリカも救ってくれない戦後なのだ・・。

山田太一の原作を宮藤官九郎の脚本でリメイク。2024年から1944年の戦時中にタイムスリップする話だ。そして、再度戻る地点は崩壊した都会の廃墟。そんなことがあるかと思えるが、今の日本は壊れていない未来都市を有効活用できない国になっている。そう考えれば結構皮肉なラストではある。

この原作、前に二度ほどドラマ化されているらしいが、みた記憶はあまりない。それはそうと、今回は2024年から1944年にタイムスリップする話だ。まあ、同じタイムスリップするのでも、戦争中に行くのだけはごめん被りたいものだ。で、スマホを持って戦争中に飛ぶ話は初めてかもしれない。まあ、電波がないので使い物にならないが、電気はあるから、充電してカメラには使えるのだろう。

で、最初に、主人公の大泉洋が、その事実をすんなり受け入れるのが早い気もするが、まあ、それはドラマとして前に進むためには仕方ないこと。とはいえ、調子のいい堤真一は、最初からもっと馴染みすぎ。で、二人が会うために電話を使うわけだが、どう考えても、番後の桁が一つ多くなってるし、使えるわけがない。まあ、こじつけとしては仕方ないか・・。

そして、知恵を使ってなんとか生きていくのだが、終戦の前に空襲があるわけで、それを皆に知らせようということになる。よくある、タイムパラドックスを自ら起こそうとする展開だが、この辺り、もう一つ話がストレートすぎて面白くない。ただ一人、戦争経験者の三田佳子がそこそこ好演。というか、この姿「ゆりあ先生の赤い糸」と同じ姿に見える。三田佳子はこれからこういう役で生きていくのか?

で、最後には、娘や息子たちが、親がやってる戦争に関わらない方向の生き方を非難するようになるが、これを描くなら、彼らがそういう思想に傾いていくところもちゃんと描いて欲しかった。つまり、戦争は人の心を変えてしまうという部分をもっとちゃんと描くべきな気がするからだ。

で、大泉をずっと見守るように出てくる、勝地涼はなんだったのか?プロデューサーとして出てきた姿は、ほぼ前髪クネ男だったが、戦時中に彼が出てくる意味は今ひとつ種明かしがないのは気持ち悪いよね。

とにかくも、この原作は、反戦ドラマなわけである。そういう部分がしっかり描けていたかというと、もう一つ物足りなさはあった。當間あみが出ているのに、彼女の可憐さがみられなかったのもちょっと不満。

もう、原作者の山田太一氏も鬼籍に入ってしまったし、脚本担当のクドカンも「新宿野戦病院」に比べるとパワー不足というところ。でも、こういう話、作り続けることが大事なのだと思うのですよね。そう、戦争は絶対反対だし、日本の軍備を拡大して戦争できる国にするのも大反対だしね。

戦時中にタイムスリップという話は、これからも描く人があるだろう。ある意味、そこで日本がアメリカに勝って、それでも、国の操縦がうまくいかなかったという話なら面白いかな。アメリカより先に原爆作ってアメリカ本土に落とす話も作ってみたいが、原爆を運ぶ術がないところをどう展開するかか・・。

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