妹との意味深な会話

あるの日、妹と話したあの会話が忘れられない。

三兄弟の長女として生まれ、4歳年下の妹と5歳年下の弟がいる。
写真を見返していると、幼い頃三人とも顔がそっくりだったことに気が付く。
兄弟といえば大体が喧嘩を繰り返すものだが、不思議なことに兄弟と喧嘩したことが記憶上ない。物心着く前にものの取り合いはしていたかもしれない。だが小学生になった頃にはもうなんの争いもなかったと記憶している。
友達と話していると兄弟仲良いねとよく言われる。これに関しては自分でも納得がいっている。喧嘩する内容が見当たらないのだ。この経歴に関しては、良い点悪い点両方持ち合わせていると思う。

誰かに彼女、彼氏ができたら、兄弟に報告し互いが互いにツッコミ合う。

「小さい頃さ、自分から階段に落ちてた。なんでかはわからへんけど。」
この言葉を聞いてしまった今、脳裏に刻印のように深く刻み込まれ頭から離れない。この言葉を聞いた今、妹とどう対峙していいかわからなくなってしまった。妹に対する罪悪感が生まれてしまった。あの時、全く何も感じていなかった自分の鈍感さに吐き気がする。本当はあの時助けて欲しかったのだろう。助け舟を出していたのだろう。その小さなサインに何一つ気づかなかった自分を痛めつけたい。こんなお姉ちゃんでごめん。今、ここでこうして文字を綴っているが一体いつになったら妹にちゃんと直接謝れる日が来るのだろうか。面と向かって、あの時妹がどんなことを思って日々を生きていたのか。その感情に誰にも気づいてもらえずどんないもちだったのか。それとも今だからあの頃の感情を分析できるだけであって、あの頃は何も思ってなかったのか。聞きたいことはたくさんある。もしかしたら、ただただ自分が考えすぎているだけのことなのかもしれない。でも、妹と共に過ごした過去を振り返るとなんとなく思い当たる節はある。やることやることみんなに否定されて、人に比べられて。その一方、姉は褒められ愛され。これはきっと妹や友達からの視点だが。

今のりなにはなんでだかわかる気がする。ずっと近くで育ってきた妹の話だから。どんな環境で育ってきたのか赤の他人よりかは知っているつもりだ。つもりだ。今、思い返すと自分は自分のことしか考えてなくて妹や弟のためを思って行動したことはなかったなと思う。いつも自分が優先。自分さえうまく行っていればそれでいい。ジャイアン的な性格をしていたと思う。

誰からも褒めてもらえることもなく、ずっと自分という存在に対して否定を与え続けられた妹。心配して欲しかったんだよな。その方法がわからなくて、自分を懲らしめるような手段しか見当たらなくて。自分があからさまにわかる傷を追えばきっと心配してもらえる。きっとそう思ったのだろう。そして階段から落ちた。そしてその落ち方は可愛いものではなくしっかり病院で診てもらわなければいけないほどだった。たしかCT撮って持ってた記憶が薄らある。妹が死んでしまうのではないかと心配して泣いたのを覚えている。あの頃の自分は、ただ足をすべらせて階段から落ちたとしか思っていなかった。まさか15年後、こんな事実を知ることになるとは。


今、妹が幸せなことを誰よりも願う。


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