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想像力に侵食される

私は無駄に想像してしまう。

もしもうまくいかなかったらどうしようとか。
どの想像も嫌な方向にしか働かない。
そのせいで立ち直れなくなってしまう。
だったら想像なんてしなきゃいいのにと思うが、想像したら脳みそが止まらない。
私は石橋を叩いて渡れずに、叩きすぎた結果、割ってしまう。
割ったらもうどうすることもできない。助けを求めヘリコプターを呼び、吊り上げてもらうほかないのである。

これは、私が幼稚園生のころの話だ。
私たちはクラスで、節分に合わせて豆を入れるマスを工作していた。
ひとりひとつ。
自分で自分のを作り上げていた。

節分では鬼がやってきて驚かすので、豆で対抗しなくてはならない。そのことはなんとなくわかっていたし、周りと同じように完成させなくちゃと思っていた。
でも、まだ鬼がなんなのかを知らない私は知らぬが仏みたいな顔をしていたはず。

すると目の前の男子が話し始める。

“鬼って、こんな見た目をしていて、こんな声を出して、、、”

途端に具体的なことを言い出す。
待って待って。
鬼ってそんな怖いの?
聞いてないんだけど。

脳内プチパニック。
怖くなって泣き出すわたし。

でもマスを作る使命を果たさなくてはならないため、結局は泣きながら完成させたらしい。
もう覚えてない。これは全部母から聞いた。

私はこの話を聞き、小さい頃から変わっていない自分に驚いた。
しかもそれ、想像力の無駄遣いというか、想像力に侵食されてるよねとも思った。

そもそも、マスをつくることに専念していれば周りの男子の話し声など聞こえないだろう。
また、鬼がどんなに怖くたってこのマスがあれば大丈夫!と強い心で挑めばいいのに、
どうして泣き出す?そして泣いてるのに、なぜ誰にも助けを求めない??
強がるなよ!先生に甘えればいいじゃん!

と、思わずツッコミを入れてしまっているが、自分の性格を象徴するような出来事に、私は昔から性格が変わってないことを認識し、受け入れた。

今では想像力に侵食されることを受け入れて消化しようとしているが、こんな自分を受け入れられずに、考えるのを無理やりやめる時期があった。

その時期は何も考えてないフリをひたすらした。
本当は全てが心配で自分にできることはないか必死だったのに。勝手に自分にできることなどない、輪を乱してはならないと思っていた。けれどそんなことでは自分とも他人とも向き合えなかった。

未だに、自分がやりたくて始めたことも嫌な想像に埋め尽くされることで、無理やりやらされているように感じで苦しくなってしまうことが多々ある。

それでも私がやると決めたのだから、
最後までやり通す。そういうものでしょ?と言い聞かせることにしている。

頑固で苦しくて耐えられなくなっても、終えた達成感を目的にして日々生きようと思う。

どこまでもネガティブなのは仕方ないけど。

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