【ショートショート】「オッサンと僕」
「知らない人について行ってはいけません」
僕は物心ついた頃から両親や周囲の身近な大人たちにそう言われて育ってきた。
現代では
「知っている人でもついて行ってはいけません」
と言われるのではないだろうか。
物騒な世の中になったものだ。
しかし、僕はこう言われていたにもかかわらず、学校帰りに話しかけられたオッサンについて行ってしまった…。
「お兄ちゃん、サッカーやっとるん?」
部活の帰り道、後ろから声をかけられた。
振り向くと、今どき珍しく白い肌着に白いステテコ、下駄履きといったオッサンが居た。
不審者だと思い、僕は無視をして早足で歩き出したが、オッサンは下駄を鳴らしながらついて来る。
「なぁ、お兄ちゃん、ワシとサッカーやらんか?こう見えてオッチャン、うまいんやで」
僕はズボンのポケットからスマホを取り出した。
緊急通報しよう…。
すると、オッサンは
「あー!」
と大きな声を出した。
ビックリして振り向くと…オッサン…見事にこけていた。
しかも、顔面から。
顔を上げたオッサン、顔面は血だらけだ。
さすがにこれは放って置けない。
スマホをしまって僕はオッサンに駆け寄った。
「…大丈夫ですか?」
オッサンは笑いながら
「鼻緒が切れてしまったわー!」
と、履いている下駄を僕の目の前にかかげてみせた。
まるでコントのような出来事だが、顔面血だらけのオッサンを置いて去るわけにもいかない。
とりあえず
「救急車を呼びましょうか?」
と言ってみた。
オッサンは
「かまへんかまへん!こんなのツバつけとばちょちょいのちょいや!」
と言って、ペッペッと自分の手のひらにツバを吐き出し、顔に塗りつける。
…やっぱり不審者だ。関わらない方がいい。
僕は、どうにかこの場をやり過ごして逃げ出したくなったが、オッサンはどんどん話しかけてくる。
「お兄ちゃんが持ってるのサッカーボールやろ?オッチャンと勝負せん?」
と、オッサンは顔面血だらけも気にせず、変わらず僕とサッカー話をしたがっている。
ちょっとだけならいいか…。
僕たちは土手で出会ったのだが、土手を降りたところに小さな広場がある。
そこでサッカーをやることになった。
ツバが効いたのか、血だらけのオッサンの顔面は血が乾いて、救急車を呼ぶような程度ではなかったようだ。
下駄を脱いで裸足でサッカーボールを蹴るオッサン。
意外にもそのパスは上手だった。
何度かボールのやりとりをしたところで、オッサンが
「休憩や~!」
と言って、どこかに行ってしまった…。
この隙に僕はサッカーボールを持って逃げ出した。
つまり何も言わずに家に帰ったのだ。
その後、オッサンとはあの土手を歩いている時もマチナカでも会うことはない。
僕はあの後、クラスメイトや身近な大人たちにさり気なくオッサンの情報を聞き出そうとしたのだが、誰もオッサンのことは知らなかった…。
ちょうどその頃、近所では不審者情報が出回っていた。
あのオッサンのことかもしれない…。
でも、僕はオッサンがそれほど悪い人ではなかったように思っている。
もしまたバッタリ出会ったら、今度はもうちょっと長い時間サッカーをやってあげてもいいかなと思っている。
そんなことを思いながら5年が経ち、僕は大学生になった。
未だにオッサンの目撃情報はなく、消息は誰も知らない…。