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恵まれない環境に生まれた子は救えないのか

4歳男子、0歳女子の子育て真っ只中のママです。

上映が始まった「Mother」という映画の原案となっているこの本を読みました。赤ちゃんもいるし映画館はコロナも怖くて行けそうもないから、と、手に取ったこの本。映画もきっといいと思うけど、これはぜひ映画で見たとしても、本で読んでもらいたい、と思いました。

2014年、17歳の少年が実の祖父母を殺してしまった事件を取材した記者がまとめたノンフィクション。どんな理由があろうとも、人を殺していいなんてことは絶対にない。奪っていい命なんてない。そう思っています。だけど、この少年の過酷な人生を知ると、じゃぁ、どうしたらよかったんだ。と思います。17年間もこんな過酷な状況で生きてきた少年を思うと、苦しくてなりません。本を読み終えた日の夕方、息子を迎えに行く道すがら、雨上がりのとっても綺麗な夕焼けを見た。この少年は、こういう景色を見て、安心して、幸せだな〜と思った瞬間が一度でもあったのだろうか?料理をしながら、こうやってあったかい手料理を何回食べることができたんだろうか?勝手に想像して涙が出ました。

子供は幼少期から、社会に出て、いろんな人と接してコミュニケーションすることで、様々な力をつけていっていることを改めて認識しました。普通に家族と暮らしていて、保育園にいって、近所の方や親である私の友人たちとの何気ない関わりがあることで、子供が人を信じたり、頼ったり、自分を大事にしたりする大きな力になっているのだと。こうした関わりが一切絶たれる世界なんて想像もしたことなかったし、関わりを持たせてもらえないまま大きくなる子がいるってことに本当に驚きました。頼るべきものはすぐ近くにいる親しかいない。その親に見捨てられたら、、、。そんな恐怖しかない状況で暮らす苦しさを想像できる人は多くないかもしれません。

この本に出てくる少年は、それでもまともな感覚を持ち合わせ、本当はちゃんと生きたかった、という希望を持っているように感じました。著者がこの少年を思うがゆえのバイアスがかかっているのかもしれませんが、どこか、こんな環境じゃなかったらとても素晴らしい子になっていたに違いないと思わせる少年です。

そこで私が思うのは、子供の持つ性格、力っていうのは遺伝的、先天的要素が強いのか、その後の環境的要素が強いのか?ということです。この少年を見る限り、育ってきた環境、与えられた環境は決していいものではありません。それでもどこか優しさと強さと、道徳心を持っていたように思います。この事件は、彼の置かれてきた環境が大きく影響し起きた事件だと思います。このような親子関係、社会からの断絶がなかったらこの少年は人を殺めてしまうことはなかったように思います。そう思うと、子供を取り巻く環境はその後の人生を左右するほど大きなものだと思ってしまいます。

こちらの本に、不遇な環境に生まれたとしても、幼少期に介入することで、問題を解決することができる、と、研究結果に基づいてに書かれています。いろんな見方もあると思いますが、公共政策によって恵まれない環境に生まれた人には、積極的に介入していくことで、その後の人生に永続的な効果があるとされているそうです。

子供は親だけでなく、ある一定年齢になるまで、周りとの関わりも選べないのかもしれません。となると、親の影響はとてつもなく大きく、こうした子を作らないためには、問題のある親もなんとかしないとならなくなります。子育てを親だけでするリスク。親だっていろんな環境で生きてきて、完璧なんてあり得ないです。だからこそ、周りのいろんな人と関わり、いろんな世界を見ることで子供は子供なりに良し悪しを学び、社会で生きていくすべを学ぶのだと思います。子育てにはもっともっと多くの大人や社会が関わる必要性を感じます。

先日、友人がフィスブックでシェアしていたある動画を見ました。恵まれている人は気づいていないけど、生まれた環境によって、実はすでに多くのアドバンテージを持っていること。恵まれない環境に生まれた人は、その差をどんどん開かれ、なかなか追いつくことができないこと。今、世界ではこうしたことが大きな問題となっていますね。

子供は親も選べないし、環境も選べない。いい環境も悪い環境も。全てはたまたま。それを仕方ない、で片付けるのは残酷すぎると思うようになりました。やっぱり幼少期に社会全体として子供、そして親もしっかりサポートしていくことがとても必要だと思います。幼少期の生育環境を親の責任だけで語るのは、ちょっと酷な気がします。

シングルマザーの場合、どうしたって、人手が足りない。子供と過ごす時間だって、かけられる手間だって少なくなりがちです。(もちろんそれでも量より質で頑張っている人がたくさんいることは知っています。)シングルマザーだけでなく、ワンオペ育児にならざるを得ない家庭だってそうです。この時期に何かしらの社会的サポートがあれば、親が少し時間を作れるかもしれないし、子供がいろんな人と関わるチャンスをもらえるかもしれない。これからいろんな人が力を合わせて社会で支えるシステムを作っていけたら、と強く思います。

先日こんなnoteも友人のシェアで見つけました。

これが今の日本の現実なんだ、と思いました。

最後にこの事件の少年の手記から。

社会にの望むことはな何ですか?問いに
みんながみんな「こんな社会になってくれ」と望むだけで、誰もそうしようと行動しなければ意味がありません。自然現象でそんな社会が手に入れば苦労しないと思います。
一歩踏み込んで何かすることはとても勇気が必要だと思います。その一歩が目の前の子供を救うことになるかもしれないし、近くに居た親が「何か用ですか?」と怪訝そうにしてくるかもしれない。やはりその一歩は重いものです。そしてそれは遠い一歩です。(中略)つまり他人、子供への関心、注意を持っていないくては二歩も三歩も子供との距離があります。いや、子供の存在にさえ気づいていないかもしれません。

行動しなければ何も変わらない。もし誰かが気づいて少年に声をかけ、関わっていたら、この事件は起こらなかったかもしれません。この本を多くの人が手に取って、大変な境遇で生き抜いている子がいることを知り、何か行動できるといいな、と思いました。

この本を読んだ方と、話したいな。
せっかくだから映画も見に行けたらいいな。


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