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どうせ死ぬなら (1)

「もったいない」



私は、歩道橋の上で、車のテイルランプをじっと見ていた。

夜の車道はキラキラと美しくて、オレンジ色と赤と白がピカピカしていて楽しかった。

楽しんでいる気分ではなかったのだけど、綺麗なものは綺麗だ。


私の身長で、この柵を乗り越えることはできるんだろうか?

138センチ、クラスでは一番前。歩道橋の柵は、私の顎のあたりまでしっかりとあって、通行人を守っている。

守らなくてもいいんだけどな、今だけ。

うん、乗り出すだけでもいいんだよね。頭は重くできているんだから、バランスさえ崩せばここから飛び降りることができる。

下を通る車には大変迷惑をかけるけど、ここくらいしか飛び降りられる場所が思いつかなかったんだ。許してね。


秋も深まって、歩道脇に植えられたイチョウが黄色くなっている。

街路灯に透かされて、葉が重なり合って透けて見える。どうにか写しとって押し花にでもしてやりたいけど、どうすればいいのかな。カメラでも持ってくればよかったのかな。でも、私のカメラじゃ夜景は上手く撮れないよ。

目って、本当に優秀なレンズなんだな。


風が吹くと肌寒い。

制服のセーラー服は、もちろんとっくに冬服なんだけど、まだ油断をしていてカーディガンやセーターを重ねていない。

スカートは長いからいいんだけど…おしゃれな子はスカートをグッとミニにしてしまうらしい。そろそろ流行遅れになってくるのかしら。

そうね、「スケバン刑事」が流行ったのってもう何年も前の話だもの。


でも、こんなちんちくりんの私に、ミニスカートなんか似合わないもの、ロングのままでいいんだどな…。



「神奈川県立X高等学校」

うん、うちの学校の名前だ。別に目立ったところのない、そこそこできてそこそこできない子達が集まる学校ね。

私みたいなのがたくさんいるわけよ。パッとしない…

そうでもないな、パッとしないのは私だけか…


「死ぬの?」

後ろの方から声が聞こえてきて、私はドキッとして振り返った。

そこには、不良がいた…。


多分、うちの学校の制服。多分、と言うのは、つまんない制服で、男子のは紺の学ランとズボンだから…改造していると、何が何だかわからなくなるわけで…。

その人の学ランはとても短く、ズボンは、いわゆる「ボンタン」と言う形に改造されていた。


「うちの学校の女子だよな」

「はあ…そうなんですか」

「死ぬの?」

「死んじゃダメですか?」


私は少し腹が立って、そう言い返した。

その不良は、ドレッドヘアを風に揺らしながら私のことをじっと見つめていた。少しお酒くさい。

「飲んでますか?」

「飲んでて悪いか?」

「別に悪くはないです」

「そうだろ、死のうとしているよりはずっといいと思う」

タバコの匂いもする。絵に描いたような不良だ。私の人生とは関係がない人。私の邪魔はしないでほしい。


「放っておいてください。あなたには関係がない」

「そうは言っても、死のうとしている子を放っておくのはめんどくさい」

「めんどくさいなら、余計関わらないでください。私は景色を眺めているだけの一般人ってことで、無視してくださると嬉しいです」

不良は…困ったな、という顔をした。

めんどくさいのはそっちだよ。不良なら不良らしく、自分のことだけ考えてればいいじゃん。


「俺さあ」

不良は頭を掻きながら、モジモジと口を開いた。

「あんた、好みのタイプなんだよな…ストレートな美人でさ」

知らない不良に告白されてもねえ。ちょっと呆れて、私は口を半開きにしていたかもしれない。

「背が俺より低いのもポイント高い」

不良は、見上げてみると確かに背は低いみたいだった。どれくらいかな。160センチくらいかな。まあ、私より高いのは確かだけど。

「別にそんだけ身長あればいいじゃないですか」

「コンプレックスなんだよ。俺より背の高い女の子なんかたくさんいる」

「そりゃそうでしょうけど」


私はしばらく考えて、彼に言葉を返した。

「あの、どうしたら私を解放してくれるんです?」

不良は…ポカンと私を見つめた。

「解放?」

「ええ、私、これから『違うところ』に行こうとしているんです。解放してくれたら行きますんで」

「『違うところ』って」

「まあ、ご想像の通りですが」


不良は私の肩を掴んだ。

「勝手に触らないでくださいませんか?」

「だって、あんた、もったいない」

もったいないって、なんじゃそりゃ。あなたにはなんの関係もないでしょう?…と言おうとしたら、不良は私に捲し立て始めた。

「俺、あんたに惚れたから!ここで死なれたらホントもったいないから、俺、多分あんたにとって悪くないと思うから!付き合わねえ?」

「え」

「あんた、可愛いし、面白い。俺、あんたと付き合えたら、絶対楽しませてやるからさ、付き合おうよ」


「…ふざけないでください」

私は、多分、泣いていた。

「私、今日、大好きな人に振られたんです。本当に好きだったから、もう生きてる価値なんかないんです。だから、そんなふざけたことを言わないでください」

私の好きな人…近田くんは、大きくて、スマートで、優しくて、カッコいい人で…目の前の不良とは正反対だ。

「それに、私、あなたの名前も知らないし、今までなんの接点もなかったじゃないですか。そんな人とお付き合いなんかできます?」


「しようよ」

不良は、ガッと私のことを抱きしめた。お酒とタバコの匂いで気持ち悪くなりそうだ。

「付き合えないってんなら、セックスしよう。どうせ死ぬんでしょ?別にいいじゃん」


…よくわからないけど、それが目的ならわからんでもないな…。

「俺、藤崎純平っていうんだ。2年3組。あんた、ヤったことある?」

「…処女ですよ…私は、吉田絵美」

「絵美ちゃんっていうのか」

不良、もとい、藤崎さんという不良は、ひどく真面目な顔で私に迫った。

「一度もヤらないで死ぬとか、ホントもったいないと思うわ。死ぬんなら経験だけはしとけ」


「…なんか、変な理屈ですね」

私は、呆れた気持ちが上限に達して、なんか楽しくなってきた。

「そうですね、どうせ死ぬんだから、経験くらいしておいてもいいのかも」


「でも」

私は、半ば抱きしめられたままで口説き落とされた自分を苦笑しながら、別に言わなくてもいいようなことを言い始めた。

「私、あなたとは多分違う人種ですよ」

「人種?」

「めちゃくちゃ地味ですし、お酒もタバコもやったことないし、今だってこんな遅い時間まで帰らなくて親が必死に私を探しているだろうし」

藤崎さんは…そうか、と首を縦に振った。

「よし、そうしたら、酒飲もう。そうか、酒が足りなかったのか」


「いえ、そういうわけでは」

彼に引きずられるように歩道橋から歩き出した。無理矢理だったので文字通りずるずると引っ張られながら歩いていた。藤崎さんは私の肩を離さなかった。

「俺の酒が飲めないのか?」

けっしてふざけている様子ではなかった。

セックスできて、目の前で飛び降りられずにも済んで、藤崎さん的には良かったのかもしれないけど…どういう心境で、知らない女の子にお酒を飲ませて、手籠にしようってのかしら?

そして私は、自分の軽さに驚いていた。どうせまたここに来て、飛び降りるわけなんだから、処女だって処女じゃなくたってどうでもいい。



生きている



朝になって、私は結局家に戻った。

親には死ぬほど怒られた。まあ、仕方ないよね。でもさ、本当は戻ってこない予定だったんだから、いいってことにしておいてくれないかな。



私はあの後、藤崎さんに連れられて彼の家に行った。途中の自動販売機でお酒を買って持ち込んだので、その後人生初めての酒盛りをすることになる。

藤崎さんが選んだお酒は、甘くて、でもヒリつくみたいで、変な味がした。

藤崎さん自身が飲んでいたのは、テレビでよくC Mをやっているペンギンのイラストが可愛い缶で、それはビールだと言っていた。飲ませてもらったけど、苦くて無理だ。


「セブンスター」と書かれたタバコを燻らせ、飲み終わったお酒の缶を灰皿の代わりにしながら、藤崎さんは私に一生懸命愛を語った。

とはいえ、私には私を振った近田くんのことが今心にグサグサと刺さっている状態で、なぜ目の前の不良がドレッドヘアを揺らしながら私に迫ってくるのか理解できなかった。一目惚れなんだ、付き合ってくれと何度も言われた。

「付き合うんじゃなくて、ヤることをヤるだけなんじゃないの?」って返すと、藤崎さんは「別にヤることが目的じゃないから!」と殊勝なことを言った。じゃあ、何が目的なんだろう?


結局ヤることはヤったんだけど、お酒に酔っていたのと痛かったので、何が何やらわからなかった。

わからないくらいでちょうどいいのかもしれない。別に気持ち良くもなかったし、この世の未練になるような代物じゃなかったな。



次の日も平日だったので、私は致し方なく学校に向かった。ものすごく怒られた後だったので、とっても遅刻して、お昼近くになって学校に着いた。それでも行くってあんまり意味がないんじゃないかしら?


近田くんは、何事も無かったかのようにそこにいて、何事も無かったかのように「おはよう」と言ってきた。

同じクラスなんだから会わないわけがなくて、私にとってはそれがまた心の柔らかいところをグッサリとやってくれるもんだから、また死にたくなっちゃったんだけど。

知らんぷりをするわけにもいかないので、「おはよう」と答えて手を振った。

また今夜、あの歩道橋に行かなくちゃ。


自分の席は、窓際にあって、窓からは校庭が見える。

今日はもう、ぼんやりと過ごしてさっさと帰ろう。窓から入る日差しは暖かくて、うとうとと眠くなる…。


校庭の隅っこで、何人かの男子が固まっていた。

みんな変な制服を着ていて、中にはシャツすら白じゃない…赤い丸襟のシャツを短ランの中に着込んでいる人もいる。

みんなと同じ格好が嫌なのはわかるけれども、わかりやすい不良みたいな格好、ダサいと思わないのかな…。


あ。

あれは。

その集団の中に、一際背の低い…藤崎さんがいた。


めんどくさいな。

早く死なないと、あの人にまた見咎められてしまう。

次は「もったいないからヤろう」の手には乗らないけどさ。

うん、むしろ、好きな人とそういうことをするという乙女の願いは消し飛んだんだから、余計さっさと死ななくちゃならない。


「絵美ちゃん」

一番仲良しの美穂子ちゃんが、ぼんやりしている私に耳打ちをしてきた。

「あそこにいる不良、なんか、絵美ちゃんのこと探してたよ?吉田絵美っていう背が低い美人、ここにはいないかって、クラスに来た」

げ。

これは、あんまり学校にいない方がいいかもしれない。

私は、「気持ちが悪くなったので帰る」と言い残し、早退することにした。



秋の真っ青な空は、死ぬのに向いている。

今度はどこに行こうかな、歩道橋でぼんやりしていると、またあの人に会いそうだ。

ビルの上がいいんだろうか。スーパーの入っている建物が5階建てだな。あそこの屋上駐車場なら、ひょっとしたら落ちられるところがあるんじゃないだろうか。


でも、昼間のスーパーは人通りが多くて、子供もたくさんいて、ここで飛び降りなんかしたら子供達のトラウマになるんだよね…って思った。

なにしろアレでしょ、頭が重いわけだから、頭から落ちて脳漿が飛び出て…ってなるわけで、私ならそんなの見たくないもん。


とはいえ、昼間のうちに飛び降りようとするとどこも事情は似たようなものなんだ。ビルは却下。

線路の高架橋に立ってみたけど、うまく電車にアタックできなかったら死に損ないそうだった。死に損なうのは勘弁してほしいな。理由を説明しなくちゃならなくなったら本当にめんどくさいし、体がおかしくなって飛び降りることもままならない体になっちゃうかもしれないし。


結局、私はまたあの歩道橋に立っていた。

ここなら高さがあるから普通に落ちても死ぬし、車にでも轢いてもらえたら幸いだ。

景色もいいし、こうやって迷っている時間もただ空と道を眺めているだけの女子高生にしか見えないだろう。


「また死のうとしている」

でもさ。

危惧していたことは起きちゃうんだな。

「探したよ。遅刻して早退したっていうから、学校で会えなかったし」

「藤崎さん」

私は、すっごく迷惑という顔をしていたと思う。そして、本当に迷惑だった。

「放っておいてほしいって何度言ったらわかるんですか。経験はさせていただいたんで、次は死ぬ番です」


「俺、絵美ちゃんに惚れてるって散々言ったよね?」

藤崎さんは、私を後ろから抱きしめてきた。振り解くのもめんどくさいのでそのままにさせておく。

「俺、前に女の子のこと好きになったの、中学ん時だから。もう2年は女の子と付き合ってないんだよね。軽々しく言ってるんじゃないんだけどな」

「そんなの、私には関係ないです」

藤崎さんは、真面目な顔をして続ける。

「そんな、つれないこと言わないでよ。昨日、気持ち良く無かった?」

「痛かったのと、酔っ払っていたのでなんだかよくわかりませんでした」

「それじゃもったいない。気持ち良くなるまでヤろうよ」

「そんなんじゃいつまで経っても死ねないじゃないですか」


「あのさ」

藤崎さんが、私を自分の正面に動かした。まるで社交ダンスでもやっているかのように、クルッと振り向かされる。

「俺、こんなナリをしてるけど、ハンパする気はないんだけどな」

そして、私の唇に…おもむろに、唇を重ねた。

「あんたの処女をもらったのも、行きずりの一度限りのアレにする気はなかったんだ」


あれ?

ファーストキス、だったんだけどな?

昨日、それをしたかどうかは覚えていない。だから、実質今回がファーストキスだ。

唇の感触は、生温かくて、ぷにゅっとしていて、その…気持ちが、良かった。

「あ…」

私の心臓は、どうやらまだ生きようとしているらしくて、キスの感触を思い出してドキドキしていた。

いや、私、近田くんに振られて傷心のあまりここから飛び降りて死ぬんでしょ?知らない不良にキスされてドキドキしてる場合じゃないでしょ?


ってか、Aより先にBとかCに到達してるじゃない?


「ねえ、ホント、あんたのこと好きになっちゃったんだからさ、俺と付き合ってくれねえ?」

藤崎さんは…服と髪型にばかり目がいっていたけど、顔をよく見てみたら、意外と真っ直ぐな視線が強かった。


「でも、藤崎さん、趣味悪いから嫌です」

私は、…実は苦し紛れに…そんなことを言った。

こんな不良、家に連れて来られない。親が仰天してしまう。

「なんか洗いにくそうな髪型してるし、私が好きな爽やかなタイプと違う」

「そうか?」

藤崎さんは、少し考えた風で、そして、ニコッと笑った。

「俺が爽やかになったら、絵美ちゃん付き合ってくれるか?」

「え」


「髪切って、フツーの制服着たら、絵美ちゃんがいうところの爽やかな男になるかな?」

「え、でも」

そうくるとは思わなかった。不良のアイデンティティってやつじゃないの?それ。

「そんなこと、できるんですか?」

「そりゃ、元々こういう髪型で生まれてきたわけじゃねえし」

そして、満面の笑みを浮かべた。

「見た目だけで絵美ちゃんが付き合ってくれるんなら、俺喜んでやるわ」

「あ、あと」

それじゃ困る。「だけ」なんて言われるようなことでは、諦めてもらえないじゃないか。

「タバコ、嫌いです、私。一緒にいると髪に匂いがついちゃうし」

「タバコもやめるよ」

「え」


「口だけだったらいくらでも言えるわけだから、全部実行してやる。タバコ、どんくらいの期間やめたら完全にやめたって思ってもらえる?」

その目は、とても真剣だった。

でも、簡単なことではないだろう…だって、不良だよ?不良のアイデンティティの全てでしょ。髪型普通に戻して、普通の服装して、タバコやめたら、不良でいられなくなるでしょ?


「…3ヶ月」

私は指を3本立てた。

「3ヶ月、藤崎さんが普通の格好になって普通にタバコやめて、不良やめるっていうならおつきあいさせていただきます」

これは無理だろう。

3ヶ月もお預けにするんだよ?無理、って言ってもらうことを期待して言った。それなのに。


「やったー!3ヶ月でいいんだな?よし、俺、頑張るわ」

ものすごい嬉しそうに飛び上がるではないか。


「そしたらさ、3ヶ月は、絵美ちゃん死なないでくれる?」

「あ」

「死なれたら約束果たせないもんな。そこは、お互い様ってことで」

…仕方がない。

私は、渋々頷いた。どうせできやしない。悪い友達だっているだろうし、生活が一転するようなこと、昨日会った私のためにするわけがない。



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