唱歌の架け橋(第21回)

前回は、長崎原爆の日だったので、『長崎の鐘』を紹介した。

暑い夏もそろそろ終わりに向かってくれたらいいなと願いつつ、今週は、『長崎の鐘』を作詞したサトウハチロー特集で5日間を飾りたい。

サトウハチローが書いた詩は、唱歌というより童謡や歌謡曲として世に出るようになる。

もともと唱歌の歴史は、明治時代の教育に音楽を取り入れた際に、文部省が子どもに教える歌として位置づけたことに始まる。

ところが、作詞を担当した高野辰之や、作曲を担当した山田耕筰のように、文語調の歌詞や格調高い旋律が多く、子どもが歌うには難しかったし、馴染みにくかった。

大正時代になって、口語調で子ども向けにやさしく書き綴られた詩が採用されるようになり、それらの歌は「童謡」と呼ばれるようになった。

1918年以降は、童謡が積極的に教育に取り入れられるようになった。

サトウハチローは、『長崎の鐘』の詩を書いたとおり、戦時下に生きた人であり、1945年当時は42才だった。

そして、国内で戦後初めて作られた映画『そよかぜ』の主題歌の作詞も担当した。

映画の主題歌となり、終戦後の国民に明るい希望を与えた歌が、あの『リンゴの唄』である。

【1番】
赤いリンゴに    くちびるよせて
だまってみている    青い空
リンゴはなんにも    いわないけれど
リンゴの気持ちは    よくわかる
リンゴ可愛や    可愛やリンゴ 

【2番】
あの娘よい子だ    気立てのよい娘
リンゴに良く似た    可愛い娘
どなたがいったか    うれしいうわさ
かるいクシャミも    とんで出る
リンゴ可愛や    可愛やリンゴ 

【3番】
朝のあいさつ    夕べの別れ
いとしいリンゴに    ささやけば
言葉は出さずに    小くびをまげて
あすも又ねと    夢見がお
リンゴ可愛や    可愛やリンゴ

【4番】
歌いましょうか    リンゴの歌を
二人で歌えば    なおたのし
みんなで歌えば    なおなおうれし
リンゴの気持ちを    伝えよか
リンゴ可愛や    可愛やリンゴ

以上である。

これまで紹介した唱歌や童謡の歌詞と比べてみてほしい。

最後の「リンゴ可愛や可愛やリンゴ」という部分は、今の時代は一般的には使われない言い方である。

3番の歌詞の「たのし」「うれし」も、文語体である。

戦後の歌がここからどのような歌詞に変わっていくのか、明日以降も注目していただきたい。

明日もサトウハチローである。

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