【続編】歴史をたどるー小国の宿命(36)

かつては秀吉の敵だった武士が、小田原の後北条氏を倒すために集結し、ともに降伏に追い込んだ。

当然のことながら、その戦果に応じた見返りを求められるが、20万人分の褒美となると、お金に換えれば相当な額となる。

鎌倉時代に元寇と戦った武士たちに、北条氏が十分な恩賞として土地を与えることができず、幕府衰退の一因となったのは、歴史好きな人なら覚えているだろう。

今度は、北条氏ではなく秀吉のほうが、その恩賞の分配という課題に直面したのである。

だからというわけではないが、朝鮮出兵は、この問題の解決につながる可能性はあった。

国内で天下統一を成し遂げた秀吉が、さらに国外へと領土拡大の野望を抱くのも無理はないだろう。

だが、それはあまりにも無謀だったのである。

秀吉の野望は、朝鮮出兵を足がかりに、広大な中国大陸まで征服しようというものだった。中国の国力を軽く見ていたのだろうか。

朝鮮出兵は、初めのうちは、勢いに任せてうまくいった。

しかし、半島の人間が、中国の明に助けを求めたので、明から援軍が出されたのである。

当時の朝鮮半島を支配していた国は、あの室町幕府の3代将軍だった足利義満が34才のときに成立した李氏朝鮮であった。

また、中国の明は、足利義満が10才のときに成立した国家であり、義満は勘合貿易を行ったことで、中国には名が知れていた。

その義満が将軍として君臨していた室町幕府が秀吉によって今では存在しなくなり、なおかつ、戦争を仕掛けてきたとなると、李氏朝鮮も明も、あまり良い気持ちはしないだろう。

今、日韓の歴史認識でいろいろと対立することがあるが、秀吉の朝鮮出兵は、本当に身勝手な侵略戦争であった。

朝鮮半島の人たちは、日本の武士たちに鼻を斬られて、戦果として持ち帰られた。本当なら斬首なのだが、海を渡る遠征となれば、それは難しいことは容易に想像できよう。

秀吉が国内で天下統一を成し遂げてから2年後の1592年に、「文禄の役」(ぶんろくのえき)が始まったが、わずか1年後に休戦となった。

半島の人たちの義勇軍に加えて、明の援軍を前に、秀吉の軍は撤退せざるを得なかった。

そして、講和に向けて話し合いが持たれるのだが、その結果については、明日にしよう。



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