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呪詛

昨日、いつ、どこから、どうやって家に帰ったのか全く記憶がない。

生き物としての生存本能が送る危険信号をアルコール漬けにして誤魔化し続る。おれの意思は生きるために、まともな判断をする必要がないと判断したからだ。"まとも"で"賢い"判断が正しいと評価されるのは、"まとも"で"賢い"価値観を共有する群れの中だけである。その群れから逸れた人間にその規範は必要ない。群れの外で十字架の如く課せられたただ一つの呪い(ルール)は生き残ることだ。どうも、生きていれば"いいこと"がある、らしい。まだ見つかってないだけで。

欲求は生きる糧だ。性欲 食欲 睡眠欲 承認欲 自己実現欲求。生きるために自分を慰める"キモチヨサ"を人は探し続ける。だって生きることは辛いことだから。報酬の得られないゲームに、人はハマったりはしない。(そんなゲームに飽き飽きしているのはおれがゲーム脳だからか?)決められたルールの中では強者と弱者が発生する。どうも、人間は深層心理的にその事実を受け止めるのが難しいらしい。繁栄の影にはそのステージから下ろされた、前時代の役者がいるのは誰だって知っている。適者生存ほどシビアな価値観はない。それが正しいのは、知識として知っていなくても、遺伝子に刻印のごとく刻まれている。結果論なんだ。人は競争には勝ちたいが敗者側にも配慮を欠かさず、綺麗事の暴力を突きつけたがる。だって弱者にも優しくした方が自分が気持ちがいいから。サディスティックな欲望は時に理解が追いつかない程の優しい一面を見せる。もちろん、その逆も。自分のことを好きになる為の理由探しをしなければ、すぐに壊れてしまうほど心や脳は脆い。

欲求を満たすための初めのステップは憧れることだ。スタートからゴールに至る為の計画を立てるのは楽しい。きっと、生きることの喜びや楽しさとされているのはこの部分だ。憧れに近づきたい、同一化したい、自分も憧れられる存在になりたい!自分の情けなさや弱さを受け入れたって、自分のいいところや強みを探したって、何度も同じところに戻ってきてしまう。有利な方へ走れ!という遺伝子の命令に。構造上、どう頑張ったってそのループから抜け出せない。マウスが滑車を回し続けるように、ブラックホールが4次元の方向に廻り続けるように、グルリグルリと虚しく弧を描く。その中でもたまに落とし物を拾ったりする。頭の良さっていうのはそういう副次的なものだ。宗教だとか、哲学だとかにはまってしまう人間が妙に頭がよく見えるのはこういうカラクリである。

人間の脳は物凄く燃費が悪いんだよ。燃費が悪いってことは不利ってことなんだよ。じゃあ、適者生存のサバイバルの中でこんなに燃費が悪い機関が発達した理由はなんなんだろう。ダーウィンは悩みました。進化論の中で説明出来ない理由を、進化論でも説明出来るように新しいルールを設けました。性選択です。孔雀の羽が美しくも目立ち、不利なように、ベタの尾鰭がグロテスクな程鮮やかなように、不利な形質を持っているのに生き残っているというのが強さの証明だからだと考えました。多くの人が勘違いしていることに、人間は頭が良かったから発展したという考えがあるのですが、真逆なんです。人間が今の脳の容量に達してから百万年以上は野生動物に毛が生えた程度の生活しかしていません。では何故人間が無駄な程燃費の悪い臓器を、無駄に大きくしたのか。単純ですよね、不利な程モテるからです(笑)

身も蓋もないとはこのことで、人は副次的な結果に、ああだこうだと理由をつけておままごとしていることを素晴らしさだと言ってしまえる。だって慰めることは気持ちがいいから。養えるだけの器があるという不利な一面をアピールしたいから。

君たちがモテたいという理由におれを巻き込まないで?

おれは飽きっぽい性格なので、構造を理解できた時点でどうでもよくなってしまうんですよね。それ以上の努力は自分の想像の上をなぞるだけだから。それならもっと強く知的好奇心を擽る新しい構造が知りたい。ワクワクしたい。だから、必死で探したんですけどね。どこまで探求したって袋小路、鏡地獄。ここまで走り続けたんだから一旦リセットするのも悪くないじゃないか。でも人間はモテる為に嘘をつく。(百歩譲って方便だとして!)生きていればいいことがあるよ、と。辛いことばかりじゃないと思うよ、と。おれって結構いいものを知ってるはずの人間なんだけどな。そうして好きなようにさせないのは、自分にとって利用価値がある方へ洗脳しているだけなんじゃあないのか?

深淵の淵、世界の果て、宇宙の端っこ。知りたいという強い欲求は、おれを死という永遠に誘い続ける。おれは自分の意思で死にたいと思っている(厳密に言えば死を知りたい)。だったら早く死ねばいいだろ、と思いますよね。グダグダ理屈を捏ねる暇があれば死んだらいいじゃないですか?と思いますよね。おれは物心ついた頃、中高生ぐらいの時にそう思ってたんですけど、足手纏いがいるんですよ。どうせみんないつか死んじゃうのなら焦らなくていいじゃん。一緒に生きようよ。生きていればいいこともあるよ。道連れを求めて、人は簡単に死なないでと言ってしまえる。寂しいから。あゆみの先で理由を見つけた。おれはしたいことをしようとしているだけなのに。

何も得ようとしない、損もしない。無欲な心とは煩悩の果てに辿り着く境地でもあって、欲望に塗れた一番の貪欲さでもある。泰然自若あるがままなすがまま、そういう方便を垂れ流す宗教家だって修行と称してセックスをしまくったりする。本当に馬鹿らしい。生きることのどうしようもなさに愛想が尽きたんですけど、おれは優しいので周りの人間の足引っ張りにどうも付き合ってしまうんです。

だから命を粗末にする。生きるという自傷行為に走り続ける。どちらでもいいからこそ、周りの人間の言われた通り生きてるんです。もっと嫌いにさせてくれたら自由にできるのに。自由に生きれるのに。おれだって何かに憧れたい。馬鹿ばっかに見える馬鹿な人間に知性の暴力を見せつけてよ。それができないなら他人の足を引っ張るのを、やめなよ。おれがこの怒りを、どうしようもなさを、やるせなさを自分にぶつけるのをどうか許してください。

おれは、明日、どこにどうやって帰るんだろう。


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