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la la la 93. 形なきもの、非科学的なものを「科学」や「テクノロジー」として捉えてみる(By 古の魔女)

こんにちは。先日、次は「念」の話をしますと言いましたが、その前にこの回を挟みたいと考えました。形なきものーーオカルトやスピリチュアルなど非科学的なものーーを「科学」や「テクノロジー」と捉えてみる。

本来こういったマガジンは、形なきものたちを信じている人が読んでいればよくてそうじゃない人は読まなかったらそれでいいんですけど、
何度もお伝えしているようにこれは「不器用さん」に捧ぐマガジンなので、
「いや信じたいんだよ、でも納得いく説明も欲しいんだよ」
と思っている、狭間の不器用さんに向けて今日は書くことにしました。

まずわたしが「スピリチュアル」という言葉をあまり気に入ってはいなくて「スピリチャル」と少しずらした表現を使ったりする理由に、自分の中でスピリチュアルは宇宙の謎、つまり「進歩的科学」だと考えているというのがあります。「科学」と言い切ってしまうと、科学とは「きちんと説明のつく」ものを指す言葉で、科学者たちは「立証」に一生をかけて研究しているので、そう安易に発言するのは失礼だと考えています。
同時にスピリチャル的なものというのはつまり「立証」が追いついたところから「科学」となり「テクノロジー」にもなるとも言えます。

例えば「日食」は昔の人たちから見たら恐ろしい「禍々しい」出来事であったけど、理屈がわかった今、現代人は「日食」や「月食」をイベントとして楽しんでいます。そして昔の人は理屈のつかない奇妙な現象などに「形なきもの」を感じて敬っていたけれど、現代人は理屈のつかない出来事をフェイクや存在しないもののように扱っています。それって「何様のつもり?」ってわたしは少し思うのですね。人間なんかに全部簡単に把握できるように宇宙出来てないでしょって。笑。

でもそう思っている人たちをディスって終わるのではなく、わたしはこう捉えているのだけど、ということを今日は書いてみようと思っています。

それで次回書こうと思っている「念」「想念」の話に繋がっていくのですが「念」や「想念」をまず一つのワイヤレスの電波のように捉えてもらいたいのです。まずとても不思議なことに人は「電話」というものをあまり訝しがっていませんよね。意外と普通に捉えている。それは小さな頃糸電話を作ったりして、音は空気を震わせて伝わることを学んだり、音が「聞こえる」つまりある種、形あるものだからでしょうか?

次にWifiはどうでしょう?
少し前まですべての周辺機器にはコードやケーブルが必要でした。
けれどもそれらがどんどんワイヤレスになって、今ではイヤホンさえもワイヤレスです。電車でwifiをオンにすると、凄まじい量の電波が、目には見えないけど飛び交っているのがわかります。

そこでわたしは考えます。この文明が進化してもう口に出さなくても「想えば」それを進行してくれるまでどれくらい? 今はアレクサやSiriが指示を受けて動いているけど、例えばそのうち、毎朝「ニュース開いて」と言っていたら、そのうち起きた人間の波動をキャッチして「ニュースです」って先回りして開いておいてくれることは可能じゃない? 
だとしたらもう「思う」だけで思う電波が伝導して、アレクサが「あなたが思うようなベトナム料理は近所にありません」とか言うようになるかも。
それっていわゆる、テレパシー社会ですよね。
恐ろしい側面もあって「あいつむかつく」と思ったらそのエネルギー(波動)を爆弾みたいに「形」に変えて、相手を攻撃したりできるようになるかもしれません。

えっ? そんなこと可能?って思うかもしれないけど、
現に最近、新しい端末を実家とかでwifiにつなごうと思うと、古い端末から新しい端末にwifiのパスワード情報を遠隔で送ってログインできるようになりました。これって仕組みとしては、そこに繋がっていくものだとわたしは思います。

そしてお伝えしたいことは、
それらが「テクノロジー」に落とし込まれる、そのずっと前から「それ」はれっきとして存在しているということなんです。
それらは「解明」の問題だけであって、日食はずっと昔から同じ現象なんだし、奈良の大仏を作っている途中に「大仏が泣いた」という超常現象は、蒸発した気体の結露だったし、
逆に返すと「念」も「念による攻撃」も、ずっと古代からあるということなんです。Wifiが飛び交っているように、人の念は飛び交っています。
それらを可視化してから「ゾッ」としていくのは、盗聴器が見つかってからようやく警戒するのと似ています。
もちろん知らぬが仏なんだけど、知らない間に部屋は盗聴されているし、
知らない間に「念」によって健康が侵食されることがあるということなんです。念、と言うより人間という肉体から放たれるパワー、それが縄張り、つまり結界を張っているし、また結界を超えていく。

それらは人の住まなくなった家のことを考えると一目瞭然です。
ここにも書いたかもしれませんが、わたしの祖母が亡くなって5年経ちました。実家が近いので毎日母が、ずっと通って家を綺麗にしていました。
でも少しづつ少しづつ家が何かの気配に侵食され、母も行くのが億劫になり、そうするとさらに家はそういう風になっていきます。
何かの気配というのは何かでもあるしネズミとかそういう具体的なものでもあります。食べ物もないのに押入れがネズミのふんだらけになったりとか、そういう具体的なものです。もちろん綺麗に掃除するんだけど、
そこには「生きている人が住んでいない」から、また同じことがくりかえされる。生きている人が住んでいる気配、もまた可視化出来ないものです。
けれどそれは確かに存在する。そして掃除に行くたび、それを感じる。

人が住んでいないとダメになっていく家、に関しては、
オカルトとかスピリ、とかを「ケッ」と思っている人も等しく感じたり、体験したことがあると思います。

でもそれと「念」って、結局は同じ話なんですよね。

えっとここから次に話したいこととして、
「形あるもの」のパワーより「形なきもの」のパワーの方が大きくなりつつあるということを、こちらも科学に近づくような視点からお伝えしたいと思っているのですが、それはまた明日(ないし次回)にします。

ちょっと皆さんも科学者になったつもりで、スピリチャルなことやオカルト的なことを「立証」してみようと思考してみてくださいな。

非科学的なことを科学的に考えていくプロセスに哲学はあると思っています。この言い方は難しいけれど、どういうことかというと、そういう風に考えて行くと、何かを鵜呑みにすることはなくなり、スピリ詐欺にあったり、変な壺を買ったりすることはなくなる、ということです。笑。
わたしが魔女とか占いとかが好き!(と作家名ではそういうポップなニュアンスになっている)から、変な宗教に騙されるんじゃないかと心配している人がいるのですが、わたしは実は「理」や「理屈」や「説明」がつくものが好きなので、多分そうはならないと思うのだよ。

今日はなんとなく赤でまとめてみました〜♪

(⤴︎これはSATCで同じみのマグノリアベーカリーのマフィンです。名前忘れた!)

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ