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取材されてはみたものの・・・

昨日、地元紙の記者さんから取材を受けました。
きっかけは、ある二人の人物との出会い。
お一人は、私のコンテンツ「開運散歩」に参加してくだった方で
県外在住、沖縄へ毎年、数日、病気療養されている方でした。

その方が、なにげにおっしゃった 沖縄戦の生き残りの方の
日本兵への思いは、誤解であるというのです。
つまり日本兵を悪く言うのは、間違いだと。

そのことが、頭から離れられずにいました。
戦争体験者から、ずっと前にお話をお聞きしたことはあったのですが、
日本兵への思いは直接、聞いた記憶がなかったので、
戦争体験者に本当のことを聞きたい!知りたい!の
と願っていたら、

願いが突然、偶然が重なってお話をお聞きする
機会を得たのです。

そこで登場するおばーが、お二人目の方で
戦争時5歳、現在85歳のおばーでした。
おばーは、滅多に来ないという私の職場で、同じ戦争体験者90歳の
おばーと軽快な口調で戦争体験のお話をされていたのです。

そこに、偶然、居合わせた私の耳に届き、
お二人のお仲間に入れていただいたのです。

驚くほど鮮明な戦争の記憶。
おばーが言いました。
「私が、認知症になる前に、この戦争の記憶を誰かに
書いてもらいたいのよ」と。

間一髪、「私が書きます!」と宣言したものの
とにかく、おばーを安心させたい一心で そう口から
出たのだと思います。なんとかなる!なんとかしたい一心で。

録音もさせて頂き、連絡先の交換も済ませ、驚くことに
おばーは、携帯電話の番号もすらすらとお話されました。

後日、おばーの許可を取って、戦争体験記は、プロにお任せするのが
一番と近くの地元紙の本社を訪ねたのでした。

受付の方にそうことを告げると、数分して 新聞記者さんが
出て来られて、「戦争体験をお話して下さる方は、探してもなかなか見つからず、やっと見つけても、重い口を開かないのに、
自らお話したいとは、珍しいケースです」と。

早速、おばーに報告。取材を歓迎するとのお返事を頂き、
後日、地元の高校生お二人と、先日お会いして新聞記者さんの後輩の方が
取材に来られて、無事、お話したよとおばーから報告がありました。

おばーの話を基に、捕虜になった場所の確定と
おばーの親、兄弟との関係性を調べ
住んでいた場所、疎開先の確定が必要とのことで、
新聞に取り上げられるのは、もう少し先のようでした。

私は、自分の願いが叶ったと同時に、おばーの長年の願望であった
自分の戦争体験を記憶のあるうちに、書き留めて欲しいの
願いを叶えるお手伝いができて、私は、本当に嬉しく思っていました。

お役目が終わったとばかり思っていましたが、
先日、取材された記者さんが、私の職場を訪ねて来られたと
同僚から連絡が入り、折り返し電話を入れました。

てっきり、ご報告とお礼なのかなと思ってましたら、
おばーと出会うまでのいきさつと、お話をお聞きしての
感想を取材したというのです。

お話だけなら歓迎と思っていましたら、結構、いろんな質問を
してこられ、私は、私の中では面白いストーリーに仕上がっていたのですが、他人にかいつまんでご理解をいただくには、話し方のセンスが
問われるなと痛感。

書くことはもちろん、話すことだって じっくりと
相手に伝わるお話の運び、要点をまとめて話さなくては
ならずで、無駄な話が多いなと落ち込みました。

とどめは、記者さんが、写真付きで新聞にそのことを
載せたいというのです。
取材が終わって、仕事に戻った時から、
ナーバス。
もうこのことを、私を知ってる人には、誰にも言わないでおこうと決心。

いっそ、バッサリカットだったら、面白いのに。
それは、それで、noteでは、ネタにならない?
ならんか・・・

先日、コピーライティングを学ぶのセミナーで、取材を任されるには、
取材を受けるにはなどのコツを元新聞記者で現編集者の方から
学んだばかりなのに、実際、取材を受けてこの落ち込み方・・
「本当に取材されたいの?私」に、大きな疑問符が・・・

取材は、覚悟をもって・・受けるべし。
日頃からことばのセンスを磨いておこう!

さあ、これからどうする?私。
コピーライターへの道は、まだまだ険しく遠く感じるのでした。

Photo by yomapipiさん

画像を使わせて頂きました。
ありがとうございます。








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