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その異常が正常を

土日は完全に引き籠った。そもそも制作ってーのは、引きこもって人との関係を絶たないとなかなかできないものである。なので、引きこもりは生活の中でむしろ必要不可欠な時間なのである。しかし、延々と長い時間は無理なのである。それは、仕事なり、雑事なりが、生きていくあれこれが私を過るのは必須なのであって、しかし。完全なる引きこもりというものはさすがに飽きるのであって、講師業も、雑事も、自分の生活のリズムになっているわけである。

リズムというか、バランスというか。講師業も好きな仕事なので、これが全くないのはとてもつまらないのである。かといって、外に出る仕事が忙しくなりすぎると、制作の時間が物理的に取れなくなってしまうので、自分にとってのバランスというのは大切だ。ぴたりとバランスを取ったままというよりもシーソーみたいにあっちこっちとしながら、なんとなく自分のバランスを感じているのがいい。

家族も同じである。子供が小さい頃は、思うように行動できないのが常であるが、それによって鍛えられた面も多々あるし、ま、しょうーがないか。と切り替えるのも早くなる。それこそが主婦、母の力である。こどもを育てるのは簡単なことではないし、自分のペースなど消え失せ、子供ありきの生活が普通になるんだけれど、こどもがいることで、ひろがる、ゆたかになる生きることのフィールドは得難いものだ。若者がそばにいる、身近にいるってだけで、なんでこんなに空気に活気が湧くんだろう?

いうなれば、この一年のひきこもり推奨な日々は、むしろひきこもらせてよ、と意識的にそういう時間を死守しようとしてきたいままでよりも、制作はしやすかった。流行りや時代やムードに、いまひとつ乗り切れない性質が、なにせ、自分の中のあれやこれやをなんとか形にしたいと向き合う独自マイペースな有り様が、そのあれやこれやの不確かななんやかんやのイマジネーションが、不確かな多くのものたちが、いつもそこへ潜っていくことの確かさで、自分を正常にいつものようにしてくれていた。

制作をがっつしやろうと思えば、通常の当たり前の気分ではどうにもならない。どこかとんでもなく不安定な挑戦に対峙することが、制作の普通だ。そういう意味で、制作は異常、非日常な世界でもあるのだけれど、その異常が正常を保ってくれるっていうね。

異常を正常に理性的に続けていくってことだね。

20201214

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