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自己満足からの脱却

おはようございます。

最近よく思うことがあります。

病院で雇われとして働いている中では
入院してこられる患者さんに対し

病気によって必要な治療はだいたい決まっていて
その指示を出すのはドクターなので
看護師はそれを安全に実践することが求められます。

具体的には
点滴、経口の薬、酸素投与、カテーテルの挿入など

技術面を求められる要素も多いです。

そしてプラスαで患者さんが安全安楽に過ごすために
看護の知識や提供が必要で
それはスタッフから学ぶことがほとんどでした。

例えば
点滴はなるべく利き手ではない方にとか
薬はそのまま飲むのか潰して飲むのかとか
酸素投与による乾燥を防ぐために加湿をするとか


それらの看護は
そうした方が安全だからとか
二次合併症を起こさないためとか

色々理由はあるのですが

病棟時代の師匠の言葉をふと思い出しました。


俺らがやることは結局自己満足なんよな。
何が患者さんにとって正解なのかわからないまま
亡くなっていくことも多いから
俺らはその患者さんが求める看護を
常に考えて実践していかんといけんし
常に振り返らんといけんのよ。

その師匠は個別的な看護を誰よりも考え実践している人でした。

そして患者さんが亡くなった時は必ず

デスカンファレンスをしようと声をあげるんです。


デスカンファレンスとは

患者さんが亡くなられた後、その方に行われていた治療や看護は
どうだったのか、遺族はどんな気持ちなのか、悔いはないか

それを多職種で振り返るものです。


ひっきりなしに入院してくる患者さんがいる中で
だいたいのスタッフは目の前の患者さんに必死です。

でも師匠は違いました。

そこで出た反省や改善点を次に繋げるんです。


しかしどこまでいっても


これは私の自己満足じゃないか

は消えてくれませんでした。
延命処置などは本当にそうですね。

カテーテルだらけになって人工呼吸器をつけて
息をさせられる姿は、
これが本当に患者さんが望むことなのかと
何度も自問自答していました。



そして現在、

ドクターからの指示はなく
患者さんが入院してくる環境でもなくなりました。

今の私が次のステージで考えることは何か。


自己満足を自問自答するのではなく
思い込みで何かをするのではなく

地域におられる方の困りことを聞くこと
それに限ると思いました。

しかも待っているのではなく
自分でその人の元へ出向くこと。


今までと真逆ですね。

めまぐるしく過ぎていく中でちょっとした体の不調や
心配事は後回しにされがちです。

もしくは
忙しすぎて何も異変に気づかないまま
時が過ぎていく人もいるでしょう。


その一生懸命に過ごされている中に
ちょっと自分と向き合う時間を作る

そんなきっかけ作りをしていきたいです。


その地域のニーズは何か
もうすでに行われていることなのか

まだまだ現状を知らないことがたくさんです。


今までのやり方からシフトチェンジして
求めるものは何かを見つけていきます。

もう私の自己満足は終わりにして。



ではまた。

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