不幸マウンティング

死にたいと思う基準は人それぞれだ。


たまに、死にたがっている人に対して、自分の価値観を基準に話し始める人がいる。

「その程度の理由で死ぬなんて馬鹿げてる」「お前は私より恵まれているのに」「私はお前より不幸な環境だったけど死ぬ気なんてない」

それはそれは大変でしたね。でもそれ、私のこととは何も関係ないですよね…と、思う。


貴方は私になれないし、私は貴方になれない。
貴方の嫌いなパクチーは、私の大好物だし。
貴方が大好きな車は、私は何の興味もそそられないし。
貴方はランチに1000円は高いと言うけれど、私はデザートも付いててお得だなあと思うし。
人が死にたいと思う基準って、たぶんその程度に分かり合えないものだ。


客観的に見たら、貴方の生い立ちは私の生い立ちよりも遥かに不幸で、例えば100人にふたりの生い立ちを話したら100人がこっちのほうが不幸だと言って貴方を指差すかもしれないけれど。

人より不幸じゃないと判断されたら、死にたいと思っちゃいけないんですか。

自分より不幸じゃないけど死にたがっている人を見つけて、私はこいつより不幸だけど死なずにがんばって生きてるからえらい、みたいな、不幸を糧に不幸の基準で人を見下して安心したいだけなんじゃないですか。

人の不幸は蜜の味。
自分は不幸だと思っている人ほど、他人の不幸に甘えて生きているのかもしれないですね。
下も上も、ないのに。