見出し画像

私の青春は、確かにここにあった。

卒業後はじめて、母校の文化祭に行ってきた。

私の高校時代は、決して華やかなものではない。

SNSはまだInstagramのアイコンが古かった時代。

私はLINEすら使っていなかった。

髪を染めていたわけでも、メイクをしてスカートを短くし、

自撮りをしていたわけでもない。

実験室で、顕微鏡を覗いて、図書室の本棚の隙間で背表紙を眺めていた。

部活は一応写真部の部長をしていたが、部員は5人のみ。

活動は年に十回ほどもなかった。


そんな地味な高校時代を過ごしていた私が、文化祭へ行った。

後輩も1人しかいなかったので、

部活が存続しているかすら、知らなかった。


久々の母校は、人でごった返していた。

パンフレットを探すと3階の隅っこに、写真展があった。

薄暗い廊下を抜けて、隅っこの教室を目指す。

店番をしていたのは、名前も顔も知らない男子生徒だった。

その視線の先にあったのは、懐かしいA3のガラス額に入った、

見知らぬ写真たちだった。


「あぁ、懐かしい」


胸が締め付けられた。

懐かしい教室に、懐かしい備品たち。

しかし、そこに在るのは知らない生徒と知らない作品。

嬉しさと寂しさがごちゃ混ぜにこんがらがった。


あぁ、確かに私の青春はここにあったのだ。


華やかじゃない、テレビに映る部活生ほどなにかに打ち込んだ

わけでもない。

でも、確かに私はここに生きて、一生懸命になった時があったのだ。

あぁ、私もちゃんと生きていたじゃないか。

ちゃんと、ここに在ったじゃないか。

画像2

薄れていた高校時代の自分の存在の記憶が、

なんだか肯定された気がした。




今、ひとり高校時代に撮った写真を見返している。

画像2

後夜祭でキラキラとスポットライトを浴びる軽音部の生徒達。

昔からずっと、華やかに光を浴びる人たちに劣等感を感じていた。

でも、この写真を撮るために立入禁止エリアで一人腕章をつけて、

夢中でシャッターを切った私がいたのだ。

それは、たしかに私の青春だったのではないか。

華やかじゃなくても、自分の好きなことに夢中になっていたじゃないか。

案外いい写真を撮っていたじゃないか。


昔の自分がちょっと誇らしくなった。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?