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★天井を取り払い、星を目指す。(Epi.3)

ジェットコースターが怖くても、乗り続けよう!
Even when the rollercoaster scares you, stay on board!

前回までのあらすじ
社長とのミーティングで「楽しくやってる?」と問われた主人公は、仕事の楽しさを見いだせていないことに気づく。さらに、「嫌いな人と仲良くなりなさい」という言葉に影響を受け、苦手なスタッフとの関係構築に努めるようになる。社長から「オシャレじゃなくてもアパレルのビジネスはできる」と言われ、他者の知識を活用する重要性を学ぶ。

また、アパレル業界に入った経緯にも触れる。完全にアウェイな空間での面接や、アロハシャツを着た面接官に戸惑いながらも、自分の未来を切り開いていく姿が描かれる。不思議なことに、この会社に入る半年前に未来に働くことになるショップの雑誌の切り抜きをしていたというシンクロニシティーもあった。

1.8 アパレル勤務初日
2002年7月1日。私はあの雑誌に特集されていた店の中にいました。「本日はセール初日です。売上予算は…です」と店長が言いました。驚いたことに、私の初出勤はセール初日だったのです?!前職では考えられないことです。いわゆる「トレーニー」が、いきなり本番の舞台に立つなんて。しかもセール初日?! その時、私は理解しました。だからこそ、マネジメントの仕組みを作るために私が採用されたのだと。そこで、接客方法を教わりながら、まずは新人のためのマニュアルを作成することにしました。また、前職での経験を活かして、お店のQSC(Quality, Service, Cleanness)をチェックし、スタッフにお店の問題点などをヒアリングしました。そして、入社して2週間余りで、社長にお店のレポートを提出しました。

店舗を観察していく中で、一番気になったのは空調の音でした。スタッフたちに聞くと、「ビルの管理者に言っているのですが、直してくれません」とみんな口をそろえて言いました。しかし、私の視点からよく見ると埃が付着しているのがわかり、店長に「フィルターを掃除機で吸い取れば音が消えると思います」と伝えました。その夜、店長は掃除機でフィルター清掃を行い、「フィルターの音が消えたわ」と、私に報告してきました。これで私は早くも店の一員になれた気がしました。

そして、アパレルに転職して2か月後、店長が新店舗異動のタイミングで、私が店長になりました。店長手当として、給与もいきなり月10万円アップ! なぜ店長になれたのか社長に訊いてみると、「面接で店長になりたいって言ってたよね」と笑いながら言われました。夢は言葉にすると叶うものですね。

こうして、私はアパレル業界での新しいキャリアをスタートさせたのです。

第2章:新天地での苦悩

2.1 想定外の異動
アパレルに入社して1年2カ月後、私は渋谷店への異動を命じられました。東東京生まれの私が渋谷で働くなんて、またしても想定外の笑える未来が待っていました。でも、実際笑えなかったのです。 

銀座では「店長」の肩書がありましたが、渋谷でも店長かなと思っていたら、社長から「店長は自分たちで決めてください」と言われました。がっかりすることもなく、実力がないから当然かと受け止めました。しかし、マネジメント候補で転職してきたのに販売スタッフとして働くのはどうだろう? と疑問もありました。これは社長の狙いなのか?

渋谷店は銀座店の半分の人数、10名のスタッフが働いていました。前店長はマネジメントの腕がいまひとつだったらしく、スタッフたちはあまりやる気が感じられません。「渋谷店は、顧客のつきにくい店舗なんです」と皆が口を揃えて言います。思考は現実化します。私は、低迷している店にはポテンシャルしかないので、チャンスだと感じました。

渋谷店に異動してすぐの店長会議には、副店長とバイヤーと一緒に神戸の本社へ行きました。店長はその3人の中から決めることになっていました。帰りの新幹線の中で、年上の男性から「やはり、店長はあなたがやったほうがいいと思います」と言われ、そうだろうなと思いながら、社長に店長を私がやることを伝えました。

久しぶりに社長とミーティングをしました。渋谷店も同じくガラス張りの店舗で、テナントの入り口にありますが、天井ぶち抜きのデザインで、スタイリッシュな路面店のように見えます。以前は海外の有名化粧品店が入っていました。渋谷駅直結で、渋谷の玄関口と言っても過言ではないロケーションです。店内にはDJ台もあり、CDもセレクト販売されていました。そんな店内の一角で、久しぶりの社長とのミーティングが行われました。

社長は天井を指さし、「ここの天井をぶち抜くのに〇〇円(凄いです!)かかったよ。この渋谷店で店長をやりたい人、たくさんいると思うよ」とニヤニヤしながら言いました。私は苦笑いして「はい」と答えるしかできませんでした。そして、社長は「好きにやっていいからね」と言いました。「店長をする価値のあるお店で、好きにやってよいとは?」 幸運の宝くじを引いた私でしたが、嬉しさと困惑が同時に襲ってくるような、不思議な気持ちになりました。

私がいなくなった銀座店は、次の店長候補が見つかるまで、社長が店長を兼任していたと思います。だから社長は稀にしか渋谷店には来ず、「好きにやっていい」と言われながらも、上司の指示や承認も必要と感じていた私は、自分のできることを精一杯やるしかありませんでした。しかしお店の売上は、前年とほぼ変わらず横ばいの状態でした。自分はいろいろとやっているつもりだったのに、しばらくは何の変化もなかったのです。

2.2 店長マニュアルを探して

「アパレルでの店長の仕事が分からず、なかなかセールスが上がらない」と感じ、本屋でさまざまなビジネス書を探し始めました。前職ではマニュアルが充実しており、「リーダーシップの定義=敬意×信頼」や「トレーニングの4ステップ:準備・提示・実行・評価」を学び、実践することでその効果を実感していました。また、社員研修も充実しており、昇格のステージごとに本社での5日間の研修が用意されていました。しかし、このアパレルの会社にはそれがありませんでした。
そこで、心理学を用いた部下の動かし方、売上アップのためのVMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)、アパレルの在庫管理、エクセルの使い方など、毎日のように様々な本屋を巡りました。そして、本に書かれた内容を実践してみましたが、エクセルのスキルを身につけてもセールスが上がるわけではありません。心理学で部下を扱うという発想にも疑問を感じました。 

それでも、毎日できることを続けようと決心し、私の得意分野である店内の掃除や整理整頓、スタッフの公平なシフト作りに取り組みました。
さらに、店の空調の音も気になっていました。ある日、渋谷109で有名なアパレル女性経営者が店を訪れ、「この空調、うるさいね」と言われました。天井が銀座店よりも高く、手入れが難しかったのですが、このフィードバックを受けてテナントに対策を依頼しました。

また、前職の人脈を活用することにしました。元メンテナンスのアルバイトだった男性のKさんに依頼し、天井が高すぎるガラス清掃をお願いしました。また、銀座店でお世話になったメンテナンス担当の男性のSさんにも修理を手伝っていただきました。彼らには特にアルバイト代を支払った覚えがないので、ご厚意で対応していただいたのだと思います。本当に感謝しています。

その結果、渋谷店のメンテナンスが整い、店舗の基盤がしっかりしました。さらに、新たに採用したスタッフも、真面目でしっかり働いてくれる人たちが揃い、おかげさまで渋谷店は平和な日々が続いていました。しかし、上司から指摘されていたやる気のないスタッフと話をすることを、少し先延ばしにしていました。なぜなら、私自身も自分の目で確認してから対応したかったのです。

2.3 退職願
彼は、私が店長になりたてのころ、私の積極的な姿勢に触発されて少しやる気を見せたことがありました。しかし、特に接客に関しては、お客様へのお声掛けもせず、周りのスタッフも諦めているようでした。

辞めてもらう理由があるとしたら、それが一番大きいと感じました。やる気を引き出すために時間をかけるのか、それとも辞めてもらうのか…。問題にフォーカスするべきか、可能性にフォーカスするべきか…。いろいろと考えた末、彼と同じ時間にランチをする日に、話してみることにしました。

社長とランチをしながらミーティングをすることは何度もありますが、今回は私が店長として部下に話をする番です。しかも退職のお願いです。
「AさんはDJの知識もあるし、音楽にも詳しいですよね。だから、接客販売よりも音楽に直接関わる仕事の方が楽しいんじゃないかな。私たちはアパレルショップとして売上アップを目指しているので、店全体のゴールが同じでないといけませんから」。

そう言うと、Aさんはあっさりと「わかりました」と言いました。さらに、彼と私が誕生日が同じという偶然もありました。「誕生日が一緒の人にこんなことを言うなんてね」と言うと、彼も笑っていました。

これまでの店長がなかなかできなかったことを私ができたことで、上司からも認められる結果を出せてホッとしました。男性のAさんが辞めた後も気軽にお店に遊びに来るようになり、円満退社となったのです。

スタッフたちは、一人やる気がない人がいなくなるだけで、言動が変わりました。これも一つのマネジメントです。前職での経験を生かすことができました。 

続く…

■編集後記
英国人の英会話の先生は、「天井をぶち抜いたから…」のセリフのあたりがマンガっぽいね!と。ということで、タイトルはそれにちなんでいます。天井をぶち抜いたから、私は星に手が届いたのですね。(笑)
そして、この自叙伝をより正確に書こうと思い、2004~2005年の手帳をクロゼットから出してきました。さらに、ネット上には渋谷店店長時代のブログが残っているので、そちらも振り返りながらこの先を執筆していきます! ネット上に私の20年前が存在しているのもすごいですね。このままForeverなのでしょうか!魂のブロガーになれそうです。(笑)

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