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★目標を打ち砕き、過去の自分を感動させる。(Epi.4)

滝を殴っているように感じたことはありますか? それでも前に進み続けてください!

前回のあらすじ:

アパレルに入社して1年2カ月後、私は渋谷店への異動を命じられました。銀座店で店長だった私は渋谷でも同じ立場を期待していましたが、「店長は自分たちで決めてください」と社長に言われます。以前の店長は売上げを上げることはできず、スタッフの士気は低迷していました。結局、店長は私がなることに決まります。自由にやるよう社長に言われましたが、売上は横ばい。ビジネス書でリーダーシップを学び、店舗の改善を進めます。やる気のないスタッフに退職を促し、店内の環境を整えることで、少しずつ店の雰囲気が変わり始めます。

2.4 権限委譲

そのスタッフが退職したことで、CDセールス担当が不在になりました。誰かを担当につけなければ、手つかずの庭のようになってしまうものです。渋谷店の1/3は、CDコーナーになっているほどでしたので、重要な役割でもあります。逆に、スタイリッシュでカッコイイCDコーナーの売上が少ないというのも、「あるものを生かしていない」感じがして、勿体ない気もしました。そこで、前職で学んだマネジメントの「権限委譲スキル」を生かして、最も適任である人をあてがうことにしました。

ある日の休憩の時間に、20代前半の男性のKさんに、「CD担当になってくれますか?」と相談をしました。彼のいつもの仕事ぶりを見ていると、とても丁寧ですし、2004年当時でもフォトショップを扱える人でもありました。それに俳優業をしていたのもあり、独特のオーラーもありました。彼はできるに違いない! という直感です。担当をお願いすると、快く応じてくれました。

早速CDコーナーの整理整頓からはじまり、売上チェック、POPの作成など、明らかに動いている様子が私からも見てわかりました。こうして意識を向けていくと、CDのセールスが、大幅アップしたのです! 意識によって世界が変わっていくのを目の当たりにし、渋谷店のセールスが上がっていく可能性を感じさせてもらったのです。

2.5 社長とのショップリサーチ

秋のある日、久しぶりに社長が渋谷店にやってきました。店内を一巡りした後、大きなショーウインドウの前に私を呼び寄せました。「渋谷店のウインドウは、まるで学芸会みたいだね」と、彼は静かに言いました。

その瞬間、顔が熱くなるのを感じました。そのウインドウは私が制作したものではなく、VMD担当スタッフに任せていたものでしたが、結局は私の責任です。私はウインドウを作るスキルがなく、彼女に任せるしかありませんでした。何が良いのか悪いのかさえ判断できず、感想を述べることもできなかった私は、見て見ぬふりをしていたのと同じでした。

「なぜ、VOGUEの本がここに置いてあるの?」と社長は続けて問いかけました。秋のウインドウなのに、切り株を支えにしてVOGUEが無造作に置かれているだけ。そこにマネキン3体が秋物の服を纏って立っているだけでした。そのウインドウは確かに学芸会のように見えました。社長の的確な指摘に、うなずくことしかできませんでした。 

その後、社長は「今から、109へ行こう」と言いました。その言葉に私は驚きました。109はティーネージャーのファッションの発信地であり、渋谷店とは全くターゲット層が違うからです。違う場所に行って何がわかるのかと疑問が頭をよぎりました。

109のエスカレーターを上ると、若者たちが溢れていて、なんとも言えない気まずい雰囲気が漂いました。社長は109の中で一番人気のショップに私を連れて行き、「ここのお店、何で売れていると思う?」と質問しました。しかし、私は答えることができませんでした。

次に、可愛らしいネーミングのブランドの店に入りました。社長はそのブランドの背景やデザイナーについて語り、私に新たな視点を与えてくれました。アパレルショップのネーミングの背景には、創業者やデザイナーの意図があることに気づかされました。日常でそこまで深く考えたことがなかった自分を恥ずかしく思いました。

109のツアーが終わり、社長の数々の「何でだと思う?」という問いが私の心に深く残りました。ショーウインドウが店の顔であることを、今さらながら痛感しました。学芸会みたいなウインドウを見て、一体誰がそれに惹かれて渋谷店に入ってくるでしょうか? どの年代のどんな雑誌を読んでいる人が入ってくるでしょうか? 渋谷の玄関口のショップを任されているのに、その土地を全く生かしていないことに気づかされました。

これからは、さまざまなショーウインドウを観察しなければならないと感じました。インターネットで「アパレルショーウインドウ」を検索すると、銀座、青山、渋谷、表参道のブティックのショーウインドウの写真がずらりと並んだサイトを発見し、興奮しました。この経験を機に、VMDスタッフとウインドウについて積極的に話し合えるようになりました。いままでどう接点を持てばいいかわからなかったのですが、社長が以前言っていた、「オシャレじゃなくてもアパレルのビジネスはできる」の姿勢に気づきました。

それから、毎回のウインドウづくりにおいて少しずつ工夫をするようになりました。ウインドウを作る予算は特に本部から与えられているわけではなかったので、あまりお金をかけることができませんでした。別の店から、たくさんのマネキンをもらうことにしました。そして、これまでよりもマネキンの高さを高くして、尖った感じを醸し出すことにしました。すると、明らかにお客様が変わってきているように感じ始めました。

2.6 社長の問いが生んだ挑戦

ある日、社長が私に問いかけました。「渋谷店、いくら売れたらかっこいい?」

私は過去の実績を考えて、「3000万円です」と答えました。しかし、社長は満足しない様子で、ニヤっとしながら「本当にカッコイイ?」ともう一度問いかけてきました。その瞬間、私は思わず「4000万円、いや、5000万円です」と答えてしまいました。言葉にした途端、その金額を達成できたら本当にすごいな、と心から感じました。そして、もし5000万円を達成できたら、独立起業しようという新たな夢が明確になった瞬間でした。

そのころ、社長のビジョンには「子会社化して社長を増やしていく」というものがありました。私も将来、社長になる可能性を感じていました。これは大企業だった前職では考えられないことでした。そのため、予算の決定も店長に任されるという自由がありました。「5000万円です」と勢いで言ってしまいましたが、当時の渋谷店の最高売上は3000万円。あと2000万円をどう生み出すのか、途方もない挑戦のように思えました。

それでも、その瞬間に感じた情熱と高揚感は私の中で燃え上がり、挑戦する価値があると強く思いました。新たな目標に向かって、一歩ずつ進んでいこうと決心したのです。でもどうやって? まだ、全く戦略が見えてきませんでした。

2.7 変革の風

少しずつ、スタッフたちとのコミュニケーションが深まり、店の方向性が変わり始めているのを感じていました。スタッフたちは口をそろえて「渋谷店は顧客様がつかない」と言いましたが、私は銀座から顧客様を招き、新しい顧客様を獲得することで、個人売上は好調でした。

男性の副店長と協力して行うスタッフ面接では、「顧客管理ができそうなスタッフ」を採用のポイントにしました。不思議なことに、「履歴書の文字がのびのびとして上手」なスタッフたちが集まり、お店の雰囲気もとても良くなりました。

私も自分のできることの最善を尽くし、ウインドウづくりに協力したり、スタッフたちには必ず顧客名簿を貰うように促しました。売上を上げるには個人売上のアップが必要だと感じ、前職で学んだ数字の重要性をスタッフたちに伝えました。エクセル表で個人売上を意識させたり、日々の接客を見直すためのノート作成を促しました。しかし、1カ月もしないうちに、誰もやらなくなりました。「こういうのやらないんだ」と、ただの検証結果となりました。

そのころ、取締役が全国のショップを回り、スタッフたちの面談を行っていました。渋谷店にも訪れたその取締役は、社長の右腕で、39歳という若さながら頭脳明晰で、多くのスタッフたちから尊敬されていました。私も取締役に渋谷店でやってきたことを話すのを楽しみにしていました。新しいスタッフを採用し、店の雰囲気も良くなり、前職の経験を生かしてベストを尽くしてきたので、マネジメントスキルを少しは認めてもらえるかもしれないと期待していました。

しかし、私の話を聞き終えると、取締役はこう質問しました。「成長したことはありますか?」私は前職を生かしてやってきたことが成長だと思っていましたが、取締役は続けて言いました。「やったことと、成長したことは違うんだよ。成長というのは、何か新しいことに挑戦することだ。」

その言葉はまるでハンマーで殴られたような衝撃でした。同時に、「新しいことに挑戦するとしたら?」という新たな問いが心に芽生えました。今までの取り組みを振り返り、新たな挑戦を模索する決意をした瞬間でした。

■編集後記

社長の問いから「5000万円です」と答えてしまったわけですが、まさにこれが、潜在意識にポンと入った瞬間だったと言えますね。(笑)

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