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【流記屋の旅中記】淡路島(+α)での流記【2024年5月振り返り】


淡路島に来てここ1ヶ月ほど、
noteを開いた時に湧いた言葉をそのままここに吐き出す
ということを続けてきました。

この身に起こった出来事や、
思い出した記憶から引き起こされた言葉だと思うのですが、
この一ヶ月を見ても、
我ながら関心事の推移が如実だなと思います。

ここからは、
各日の「つぶやき」を振り返って行きます。

振り返りによって湧いた素直な言葉も添えつつ
進んで行こうと思います。

私の1ヶ月にお付き合いくださる奇特な方はどうぞ↓

5月1日

5月の最初の頃は、
新しい職場での仕事に慣れることと、
蓄積した疲労感を回復することに意識が向いていて
だいたい似たような話題ばかりだったと思います。

5月2日

ちなみに、
足湯の方は無料解放ということもあって
人が集まりやすい場所のようだったので
自分の体感的な部分での居心地を優先して、
断念することでおさまりました。

幼少期からずっとそうなので、
「ひとり」が私にとっての
安心で、安全で、リラックスできる
ちょうど良い状態なんだと思います。

経験が浅い子供の頃、
周囲から言われ続けた「人の中にいるのが普通」
という社会通念と葛藤した結果、
「私には経験がないから」
「私の感覚の方がバグってんだろう」
と一旦折れて社会に出、
「もう社会に揉まれたから人の中にいても平気」
と思うようになっていましたが、

ここ一ヶ月の出来事と、
それに対する自分の反応を認識したことで、

自分が﹅﹅﹅生きるために必要なのは、自分の感覚だ。
この感覚を信じよう。

と、ようやく思うことができました。

私にとっては、
辛かろうが苦しかろうがひとりの方がまし。
大勢の人の中にいると、うんざりする。

5月3日

淡路島とお不動さまの関係…というか、
道に祀られるお不動さまの由縁とかも、
調べると面白そうだなと思いながら
一月が過ぎ去ろうとしています。

5月4日

私の仕事は何かと自問した時に、
「書くこと」だと定めはしたものの、

現状何でお金を貰っているかと言うと、
客室清掃とベッドメイキング、
洗い場での食器洗浄機の番と、
食器を定位置に戻す作業…
なんですよね。

5月31日現在、
自分の成長度合いを省みると
最初期に比べれば、
慣れによって早く済ませられるようにはなって来ましたが、

毎日やる気充分に、気合いを入れて
バリバリ働いているかと自問すると
その辺の気はむしろ消沈しているなと感じています。

三年ほど前に一度、
「なんでも面白がって探究してやろう」という、
(怒気を含んだ)意図をもって
創意工夫をやっていた結末を経験済みだからか、
私の心身がもう、当時のやり方に乗ってくれません。

自分を誤魔化しながら、
焚き付けて騙し騙しやろうとする気も
もう起こらないので、
この職場での、今現在の私は、
人材としては不良品かもしれません。

5月5日

何かと節目の日を気にするようになって三年が経ちます。

この日ご挨拶に伺ったのは、
鳴門御崎なるとみさき神社、
福良住吉神社、稲荷神社、
福良八幡ふくらはちまん神社…
だったと思います。

先月4月30日だったと思うのですが、
たまたま11:11に「住吉大明神」の鳥居を見かけて、
そのまま、順番に鳴門御崎神社、
福良住吉神社、稲荷神社、
福良八幡ふくらはちまん神社
と巡拝したのが、
この神社群をたびたびお参りするようになった
始まりでした。

ちなみに、鳴門御崎神社にお祀りされている
玉依比売神さまは、
5月23日にお参りした京都の貴船神社(奥宮)にも
合祀されているらしいんですよね。
5月中とても気になった神様の一柱おひとりです。

5月6日

ゴールデンウィークも終わり、
仕事場の繁忙期を抜けたことで、
安心してほかのことにも目を向けられるようになったのが、
おそらくこの頃です。

5月7日

これは余談になります。

5月7日の朝は、妙な夢を見たのですが、
起きてからもその内容を覚えていました。

結構ショッキングで心配が残る内容だったので、
言語化してみます。

私が海の上を滑空するバスに乗って窓の外を見ていると、
真下から2頭のイルカがジャンプしてきたんです。

バスは結構な高さを飛んでいましたから、
その隣に並ぶくらいに跳ね上がったイルカは
かなり気合が入っていたと思います。

その様に見入っていると、
一頭のイルカが着水に失敗し、
上空から叩きつけられるような形で陸地に乗り上げました。
驚いてバスの窓から下を見下ろすと
白いコンクリートの上にぐったりと横たわっているイルカがいました。

遠目に見ても出血がわかって、
「え、あれ大丈夫?相方どこいった?」

とそわそわしているところで目が覚めました。


…イルカの無事を祈るばかりでしたが、
あれから夢の続きは見ていません。

5月8日

この日は月の巡りでいうところの「新月」で、
エネルギーの放出を終えて
0に切り替わる日でした。

私はこの日、前もって足を伸ばしたいと宣言していた
「おのころ島神社」にお参りしました。

「おのころ島神社」をはじめとした
周辺の神社群にも懐を借り、
八百万の神々を相手に
これから自分はどうしたいかを
壁打ちさせていただいて、
自分の中で方針が次第に固まっていくのを感じました。

5月9日

たびたび顔を出させていただいている「朝活素読会」。

四書五経の『大学』を素読しているのですが
この時話題にのぼった一節は、

賢を見て挙ぐる能わず、
挙げて先んずる能わざるは命なり。
不善を見て退くる能わず、
退けて遠ざくる能わざるは過ちなり。

『大学』

この一節を読んで、この日受けた感覚は、
「自分がやらなきゃ、じゃないんだよな」
です。

『大学』は統率者、上に立つ人のための学問ですから、
「組織を構成する人々とどう関わるか」は必須事項なんだと思います。

ただ、私はいま、
すっかり単独者のつもりで生きているので、
ここに引っかかったんですよね。

「自分がやらなきゃ、
 じゃなくて、
 “人に任せる”が前提なんだな」
って。

「志」と「野望」の違いを思い起こして、

誰かに引き継いでもらう気はさらさらなくて、
自分ひとりで完結できる仕事をしようと
この人生丸ごと賭けて放浪を始めたけど、

この感覚は、
競争心とかとは無縁だと思っていて、
誰かに期待したり、
誰かを誘導したりするのは違うと思うから
自分ができることをやろうとしているだけ。

自分のこれはなんだろう、

…という自問が立ち現れました。

5月10日

自分にとっての難関である客室清掃を前にしておきながら、
この日のアナログノートに書き留めた所感では、
すっかり自分の世界に入っています。

勇気と蛮勇は違う。
英傑大事に当たっては禍福生死を忘ると言えども、
軽率に死にかけるのは違う。

流記屋の流記帳

私が好きだった言葉
「独」
何者にも頼らず、自己に徹して、絶対に生きる
人の反応は気にせず、無心にやる

流記屋の流記帳

「無心やる」というのは、やっているというより、
そう念じている時間がある、というほうがしっくり来ます。

「人の反応を気にしない」ということを
相変わらず自分に言い聞かせなきゃいけないのは、
まだ気にしているということだろうな、とも思っています。

誰かに見てもらいたくてやっているのか。
でも、見世物にはなりたくない。

誰かに気づいてもらいたくてやっているのか。
でも、担ぎ上げられるのも、踏み荒らされるのも御免だ。

この辺の矛盾は、はっきりしないままです。
はっきりしないままでも、やってみようとは思っています。

5月11日

自分の理想像と、身体感覚とのズレを
ずっと、うっすら感じていて、
これまでにもたびたび自覚しては
「まだまだ修行が足りない」と
自分の首を絞める方向に頑張って来ていたのですが、
「そもそもこの理想が、自分の体に合っているのか」
という疑問が
意識の上に表出して来たのがこの頃だと思います。

5月12日

5月13日

5月14日

5月15日

この日は、一つの転機だったと思います。
夜、友人とオンラインでお話しする機会がありました。

この日の対話のおかげで、
「自分の感覚」に意識を向けられるようになったと思います。

5月16日


5月17日


5月18日


5月19日


5月20日


5月21日


5月22日

馴染めないと感じている職場ではありますが、
有り難いことに、
中には、気を遣ってくださる方もいます。

このことについては、
思うことが様々渦巻いているので、
少しずつ言語化を試みていきたいです。

5月23日

この日は、15日にお話しした友人を訪ねて京都にお伺いしました。
ここで「野口整体」について、
腰を据えて学んでみようという気を起こし、
後日『体癖』という本を購入しました。

余談ではありますが、この日、百何十日続いていた
noteの毎日連続記録が途絶えました。
深夜の0時に寮に到着し、
投稿が翌日に回ったためです。

…新たな切り替えの時期と受け止めて、
また日々を積み重ねようと
満月を見上げながら思いました。

5月24日

5月25日



5月26日


5月27日

「私は異物だ」という感受について

このことについて、思うところが湧いて来ているので、
近々記事にして書きたいと思います。

5月28日

5月29日

すごく神話的な夢でした。ここを深掘りすれば
自分のうちに起こる
特定の物事に対する拒絶反応の理由がわかるのかな、
と、なんとなく感じました。

ちなみにこの日も、(翌日にシフトが入っているにもかかわらず)
日がな一日歩き通しでした。
月頭に「行きたい」宣言していた場所はすべて行くことができました。

ここしばらく神社めぐりをしていますが、
ご縁のある(?)神社と、
そうでもない神社が、
なんとなくわかるようになって来たかもしれません。

(数をこなした結果、
感覚的に「これって違うってことかな」
と思う神社も出てきたからです)

5月30日

自分の感覚と、職場との折り合いを
探りながらやっている現状ではありますが、

振り返って思うのは、
濃厚な一ヶ月間だったな
ということです。

最終日まで、書き留めておきたいことが湧いて来て、
振り返ろうか、湧いたことを書こうか迷いました。

湧き出る言葉も、感覚も取り落とさず、
日々のことが学びになるよう
流記を続けていきます。

2024年5月31日 拝

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