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2024年3月4日 自分の価値をつくるために他者を利用していないか

2024年3月3日(日)に
ヤマト運輸さんから受け取った荷物をもとに
寝床を温かくする工夫を実践したのが、
翌日の4日です。

日曜大工ならぬ月曜大工になりましたが
晴れと曇りが交互にきて、
心地の良い着工日和となりました。

5日間お借りしていた母屋の談話室を掃除機がけして
残りの半日はスタッフルームになる庫裡で過ごし、
夜は個室に移りました。

辻政信さんのことは、あれから少し足踏みしています。

もともと「辻さんの無念はなにか」
というアプローチから入って
いろいろと本を読むようになったのですが、

彼の人となりを知るにつれ
どうも、
「この人がそんな個人的なことで騒ぐかなあ」
という疑念が膨らんでくるんですよね。

これまでやっていた読み解きは結局、
私自身の自己表現でしかなかったんじゃないかと。

そういう思案にとらわれていると、
ちょうどnoteで気になる題名の記事を見かけました。

Mamita(大澤真美)/まみーたという〈いのち〉さんの
「自分の価値創造のために、他者を使いたくない」

自分の存在が役に立つと価値がある気がする。

医者や看護師の力で、患者さんが回復すれば、存在価値がある感じがする。
でも、一歩間違えると、医者や看護師の価値創造のために、
病人をつくってしまうことがある。

ぐっさり深めに刺さったことばがこちら

私はもともと
「人の役に立つことによって存在することを許されよう」
とする病に浮かされて
各所を放浪することになり、
旅の中でその自覚をしてきました。

それはきっと「誰かのヒーローになりたい」
というのに近い感情だと思います。

私自身、誰かによって
その人がヒーローになるために
「ダシにされた」と感じた時には

いらぬ世話の蒲焼きだばかやろー

と、強い忿懣ふんまんを抱えてきたので

まさか自分がそっち側になろうとは
思ってもみなかったのですが

私が過去に拒絶した立場を
いま経験していることに
学びがあるのかも、とも思います。

ただ、辻さんが命を賭けて行動した
日本人という「民族」の危機は、
今現在と地続きに繋がっている過去に、
確かにあって、

私がこれまで感知してこなかった水面下では、
危機そのものがまだ活きて動いているのかもしれない

ということは、なんとなく感じました。

これから私はどうするのか

こういうことを考えたからといって、
辻さんの追悼法会に向けての調査を放り出したりはしません。

ただ、戒めとしておきたいのは

私が抱える業や、影や、傷は、
生きている「私」を通して表現する。

辻さんとの出会いを経て、
「私が」何を見たか、聞いたか、感じたか

私に表現できるのはそれだけだし、
それが、
私にしか表現できないことなんだとも思います。

水面下に蠢く危機があるとして、
いまの私にできることは
不安に呑まれず騒がず惑わされず
「自分の生」を生きること。
それに専心することです。

日々できることをする、それだけです。

追伸、

寝る前に
超コンパクト物干し竿をくるくるしていると、
引っ張るだけで伸びることが発覚しました。

どうやら、少し緩めると
あとは伸縮自在になるようです。

無事、ちゃんと自立して洗濯物を預かってくれるようになりました。

2024年3月4日 物干し竿に掌でころころされた日に

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