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【辻政信氏の調査考察】2024.4.4 中立論と東亜連盟の理想

ここしばらく、
地元の図書館で借りたご本人の著書を元に
辻政信氏が周りに「伝えようとしたこと」を読み解いてきました。


辻氏が書籍を出版したり、全国各地で演説をして
「どうにか日本の人々に伝えようとしたこと」を
ここで一度、整理してみようと思います。

一、中立論/天は自ら衛るものを衛る

辻氏が提唱した「中立論」は、

敗戦後、
「今後の国防問題をどうするか」
という局面にあって、国の主導者たちは
「米ソどちらにつくか」
の2択で相争っている。
しかし、
第三の選択肢として
「自分で自分の身を守り、
 米ソどちらの下にもつかない」
やり方もある、それを選ぶべきだ


という主旨の主張だったようです。

ただ、完全に自力で国を守り切ることができるとは
辻氏も考えていなかったと思われます。

あくまで、
すっかり卑屈になって
戦時中にさんざ甚振いたぶられた敵国に対して
自国を守ってもらおうとする日本(上層部)の腑抜けぶりに
喝を入れようとしている
ように見えました。

そして、このときに辻氏が頼りにしていたのは、
亜細亜、ひいては「中国」でした。

これは、辻氏が軍人人生の中で多くの中国人や、
中国を敬愛する日本人と交流を重ね、
その中でも、東洋思想を基礎に人格修養してきた
「君子」の方たちと出会い、
その姿を鮮烈に覚えていたためではないか思われます。

日本国内でも、敵国だった頃は相手を罵倒しておきながら、
敗けた途端に「どうぞ属国にしてください」と下手に出る
臍のないインテリが少なくなかったようなので、

こういう輩を「阿諛迎合の徒」と嫌った辻氏にとって、

高い視点でものを見、自分の立場で精一杯やり、
立場が敵であっても同志と知れば励まして、
引き際美しく散って行った「君子」型の英雄は

懐かしかったのではないでしょうか。

私は辻氏の言論を読んでいると、しばしば自分の、
安岡正篤先生の著書に線を引きまくっていた学生時代を思い出しました。

古典を読むと、よくこのいにしえということが出てくる。
古人・古聖・古賢というように、
どうも東洋思想は尚古しょうこ主義である、過去ばかり論ずる、
したがって東洋には進歩がないという。
これは世間普通の思想家・学者の通説であります。
…が、少しく立ち入って観察すれば、
これは必ずしも未来に眼を閉じて、
過去ばかり振り返るという思想ではない。
むしろ非常な理想主義がこの尚古思想を生んだのであって、
そこに漢文化の特徴がある。
漢民族というものは、いろいろ物を考えるようになって、
この現実、したがって実践を重んずるようになり、
黄河の流れに随ってあるいは東し、あるいは南して、
気候・風土・猛獣・毒蛇・土人と戦いながら次第に発展した、
まことに実践的・現実的な性向をもち、
観念や空想や戯論を許さない。

そこで単なる理想や空想を描いて喜ぶ、
というような空虚さには耐えられない。
あくまでも実践・実現を旨とする。
価値あるものほどユートピアとして甘んずることができない
自分の欲するものほど、単なる理想・空想ではなくて、
それは偉大なる人々によってかつて実現されたものとして、
実際性を持たずして理想となし得なかった。

それはむしろ「ユートピアにしておくに忍びない」という
理想精神の要求
が、この尚古思想を作ったものである…

安岡正篤『人物を創る』

二、東亜連盟の理想実現

辻氏や、辻氏の属する東亜連盟は、まさしく
「ユートピアを実現」しようと
実際に行動を起こした方たちだったのではないかと思います。

東亜連盟の思想は満州事変の前後より、
先覚石原莞爾将軍によって提唱されたものであった。

「異民族は闘争するものである」との従来の観念に対し、
「異民族は協和し得るものである。」との信念を以て、
武力を背景に満州や中國に君臨する日本の態度を非難し、
平等の位置に謙虚に身を置いて、
亜細亜各國の民族と心からの融和を図り、
その結果として共存共栄の亜細亜を建設しようとした。

加盟各国は政治の完全な独立を尊重す。
亜細亜の運命は、亜細亜民族の力で護る。
共存共栄、互惠平等の経済建設を図る。
ことをスローガンとして先づ満州に実践し、その見本を以て
中國との和平を図ろうとした
ものである。

『亜細亜の共感』

※「東亜連盟」の歴史的背景や、
構成する人々のことはまだまだ知らないことが多いので、
ここではまだ論じるに及ばない状態です。
石原莞爾氏の『最終戦争論』がKindle Unlimitedで読めるようなので、
こちらもおいおい見ていこうと思います。

辻氏のことに話を戻します。

三、信義を腹中に置く/卑屈になるな

敗戦の罪を負い、大陸を潜行して感じたことは、
敗戦後に於ける余りにも卑屈な日本人の態度であった。

終戦の翌年日本に来た中国の記者団に対し、
某大新聞の知名な記者が、
「日本は中国の一州になりたい。」と語り、
口を極めて蒋主席に賛辞を送った。
この歯の浮くような阿諛が、帰国した中国の記者によって
大々的に報道せられ、如何に侮日の材料に使われたことか。
戦い勝っていたとき、この記者は、
暴支膺懲ぼうしようちょうを叫んでいた事をすっかり忘れ果てている。

『亜細亜の共感』

辻氏が何を言いたかったかを
私なりに噛み砕いてみると、
こんな感じになります。

卑屈になって阿諛迎合しても、
心ある人々から侮蔑の目を向けられるだけだ。

阿諛迎合を受け入れるような輩は、
いざという時助けてはくれない。

自分の良心に愧じないよう、
「信義を腹中に置き」「嘘をつかない」こと。
そうすれば、心ある人は応えてくれる。


辻氏は、米ソのどちらに対しても警戒心を露わにしていましたが、
中国亜細亜に対しては
絶大な信頼を「敢えて寄せよう」としているようでした。

私はこのとき、辻氏が頑なに説いていた
「中国人には騙されても信じ続ける」という在り方に、
(海千山千を相手にそれは危ないんじゃないか…)と思ったのですが、
辻氏自身の言はむしろ
「相手が海千山千だからこそ、どうせ見抜かれる小細工をするな」
ということだったようです。

騙し合いをやったら、我々はとても中国人には勝てぬ。
これは決して対手を侮辱する言葉ではなく、
その歴史から観察したものである。
異民族の幾度かの侵略を受け、幾つかの国に分割されて、
合縦連衡、蘇秦、張儀の術を以て自存した中国人の偉大なる鍛錬は、
ただ殿様の命令を土下座して肯いて来た日本人の単純さと、
比較することはできない。

貿易も、外交も、嘘を言わず、駆け引きを用いず信を腹中に置き、
二度欺されても、三度欺されても平気で、
決して、対手を欺さない中に、
必ず永久に欺さない同志を、見出し得るであろう。
一度信じ合ったら離れず、民族を超え、国境を越えて扶け合い、
敬し合う美点は世界に於て、中国人の上に出るものはなかろう。

国は幾度か興り、幾度か亡びながらも、
社会は巖然として秩序を保っているのは、
唯この相互の信用と、扶助によるものである。

『亜細亜の共感』

過去二十数年の軍人生活の半ばを中国大陸に送り、
上は国の領導者から、
下は字も読めない一兵卒や、苦力に至るまで交わったが、
この間に謂わゆる工作費、謀略費として、
お上の金を使ったことは殆どなかった。

唯、この真心を資本とし、この生命を担保とし、
勝って侮らず、敗けても阿らず、
二度欺されても、三度欺されても一度も欺したことがないだけだ。
それは欺す能力がないことを知っていたからである。

『亜細亜の共感』

辻氏がのちに失踪に至る、東南アジアへの視察には、
池田首相の訪米に土産話を持たせる目的があった
という話があります。

辻氏はここで、アメリカに
「日本は亜細亜と相携えて立派にやって行ける」
ことを証明したいと思っていたのかも知れません。

辻氏の回顧にはたびたび、
「笑われないように」という表現がされていました。

初陣でも、「部下に笑われないか」ばかりが気になって
誰にも見られていないのを見計らって、敵の発砲を利用し、
銃撃を受けて腰を抜かさないか試したエピソードがあります。

こちらの心底を見透かすほどの「心ある先覚」
から「どう見られているか」。
彼らから見られて「恥ずかしくないように」。

辻氏を突き動かす原動力には、
こういった「辻氏の中にある他者の目」が
強く働いていたのかも知れないな、と感じました。

「信義を腹中に置き」「嘘を吐かない」ことを
自身に課していた辻氏は、
晩年、視察のことについても「外務大臣が公電で、
報道関係者に辻の視察を秘匿するよう注意する指示を
出しているにもかかわらず、
旅の目的を各所で話していた」そうです。(前田啓介『辻政信の真実』)

彼自身が信じる「正しさ」に
がんじがらめになっていたのかも知れない
と想像してしまいました。

少し脱線しましたが、
ここまで調べてきて、
辻氏の言論から感じ取ったメッセージは以下の通りです。

一、自立する気概を持て

二、「理想」は実現しようと動くためのものだ

三、卑屈になるな、喧伝にまんまと引っかかるな

まだまだ知らないことが多すぎるので、
適宜当時の時代背景を調べていこうと思います。

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