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銀河鉄道の父より妹に感動した話/人の役に立つってどういうことなんだろうね


GWに銀河鉄道の父を鑑賞した。
(画像は公式サイトから引用させて頂きました)


私は原作を読んだこともないし
宮沢賢治の半生は正直全く知らない。

が、
そんな私が映画鑑賞をして感じたことと考えたことは以下の2つである。

目次

①父より妹の方が演技に迫力がありすぎた

②人の役に立つことを追求した先にあるものとは?



①父より妹の方が演技に迫力がありすぎた

正直に話すと
私は森七菜さんの演技は役に没入している感じを感じられず(一意見として捉えください)、
あまり好みではなかった。


しかし今回の映画を経て
こんなに潔い演技をする人なのかと
初めて知り、驚いた。



混乱状態にある祖父に言った一言。

もはや叩きつけるかのように放たれた彼女の一言は

脳天から爪先まで一瞬で全身を駆け巡った。

まさに心の臓に響く体験であった。


この体験だけでも
鑑賞する価値があると私はおもう。


さらに森七菜さんの笑顔は
賢治の作品を読めた妹の喜びを最大限に表していた。

その笑顔は
病気の妹が何が何でも喜ぶ作品を作りたいという想いを賢治に芽生えさせ、

何にも代えがたい執筆へのモチベーションであったと、
映画を観た人なら誰もがわかるものであった。


②人の役に立つことを追求した先にあるものとは?


この映画の脚本は
賢治がダメ人間だったらという想定で書かれたとのこと。

ダメ人間と言っても
賢治のことを誰も憎めないのは

【人の役に立ちたい】という想いが根底にあることがわかるから

それを誰も否定できないからだ。


しかしながら
私は映画の後半になるにつれて

誰かの役に立ちたいと願うがあまり

それが出来ているかを自分に問い過ぎて

本来の自分を失っていく、

そんな賢治の姿を見るのが
とてつもなくつらかった。



人の役に立つという道徳感は
日本の中で美徳とされている。

けれど実際は

非常に曖昧な、他者からの評価である。


相手からみて
有益なことをしてくれたとき
人は初めて役に立ったと言われる。


そうなると、自分が相手にしてあげたいことが相手から不要と言われたとき、

人は何をしてよいのかわからなくなってしまうのである。


作中、
賢治が学校に通い、自分の頭で考えた
“人の役に立つアイデア"は

ほとんど現実と乖離していた。



人の役に立つことを追求した先には


とてつもない徒労感と空虚感に満たされた彼が居た。


アイデアは、
本人の創造性が露わになる点である。
そこを否定され続けるのはとてもつらい。


自分のアイデアと他者評価の狭間で揺れ動く賢治の姿は
現代の数多くの日本人に刺さるだろう。


最終的に賢治は
自分のアイデアを突き通すこと(=物語づくり)をした。

それでしか自分で在り続ける方法はないことを賢治は証明したと言えるだろう。


昔より自己表現の場が増えたことにより

さらに葛藤を持つことになった現代の日本人へ


“葛藤をもちながら、
アイデアを貫き通す”

それがこの映画のメッセージなのではないかと、私は捉えた。

なかなかできることではないが、
そんな人々がもっと増えたら
面白い世の中になるのかもしれないと思いながら

私はこの映画の感想を終わりにしようとおもう






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