ミラーボールをきみと


 ぼくたちは、まだ生まれていなかった。どんなかたちで生まれるのかもわからなかった。ただ生まれるんだってことはわかっていて、それは、ぼくも、みんなも同じ。すごくうれしくて、手を取り合っておどった。たまごの中のパーティー会場で、生まれることをおいわいして。

 ぼくたちは、みんな白いふよふよ。今はマシュマロみたいって思うけど、とうぜん、マシュマロなんて知らなかった。ぼくも、きみも、白いふよふよの存在で、だけど手はあった。ぼくたちはそれを取り合って、天井のきらきらに照らされながら、くるくるおどったんだ。

 これが、ぼくのいちばん古い記憶。話すと、おかあさんも、おとうさんも、とてもよろこぶ。うちの子は詩人になるぞ、なんて言って。話すたびに、ぼくの手のひらには、ふよふよの感触がよみがえる。きみの感触。白いふよふよは大勢いたのに、きみのことばっかり覚えている。

 まるい壁に寄り添って、じっとしていたきみのこと。

「悠太、手紙は持った?」

 おとうさんが、ハンドルをにぎって言う。ぼくはうなずいて、助手席のシートベルトをぎゅっとにぎった。おかあさんの入院はさみしいけど、おとうさんと二人で車に乗れるのはさいこうだ。

 ぼくたちはお見舞いに向かう。

 おかあさんは、先月から遠くの大きな病院にくらしている。具合が悪いんだって。いちばん最初にお見舞いに行った時、おかあさんは知らないベッドで知らない服を着ていて、髪型もいつもとちがって、ぼくはなんだかきんちょうしてしまった。何をきんちょうしてるのって、おかあさんは笑ったけど、ぼくは体がかちこちに固まって、何にもしゃべれなかった。

 今日は二回目。今度こそ、きんちょうしないで話せるように、手紙を書いた。こまったら、これを見てお話すればいいからかんたんだ。ぼくはもう一回、リュックの中の封筒を確認して、しんこきゅうをした。

 車はどんどん進んでいく。大きな通りは、だんだんカーブが多くなっていって、山の色が濃くなっていく。ぼくはいつもそうするみたいに、窓から見える景色に目をこらして、曲がる場所を覚えようとした。たいてい、とちゅうからわからなくなってしまうけれど、何が見えたら曲がるかはわかる。

 空は気持ちよく晴れて、ドライブ日和だ。五月の青い空に、白い雲が、ぬいぐるみみたいにうかんでいる。

 ぼくは、つい、きみのことを思い出す。

 話しかけたのはぼくからだった。

 ねえ。どうしたの?

 近づくと、ぼくの影がきみに重なって、きみが暗くなってしまう。あわてて、すこしだけあとずさった。

 すみっこにうずくまっているのは、きみだけだった。ぼくはまだ、生まれることがうれしいっていう気持ちしか知らなかったから、ほんとうに不思議だった。どうしておどらないんだろう。こんなに、みんな、きらきらしているのに!

 しばらくすると、きみはしゃべりだした。

 だってさ、こわいよ。生まれるって。

 生まれることがこわい? どうして?

 だってさ。

 きみはそこで言葉を切って、自分の両手をじっと見ながらつづけた。

 生まれたら、今みたいに手をとっておどるなんて、できないかもしれないじゃないか。

 ぼくは何も言い返せなかった。ぼくも、生まれてからのことなんて何一つわからなかったから。それに、本当は、ほんのすこしだけは、こわいって気持ちもわかる気がしたんだ。

 ぼくはきみの隣で、一緒になってすわってみた。

 みんながくるくる、ふよふよとおどっているのを眺めた。天井を見上げると、ミラーボールがみんなの笑い声を映して、光になって、ぼくらのいるすみっこにも降り注いだ。

 おどってはしゃぐのもいいけど、こうして見ているのもわるくないな。

 それを知っているのは、ここでは、ぼくときみだけなんだって思うと、勇気がわいてきた。

 ねえ、ぼくたち、無事に生まれたらきっと会おうね。

 そんなこと言って、ぼくが海の底で、きみが陸の上で生まれたらどうするのさ。

 会えるよ。手を取っておどれなかったとしても、同じ世界に生まれるんだもの。きっと会えるよ。

「悠太、ついたよ」

 ハッとして目を覚ますと、よだれがあごからつたって、ひざにぽつんと落ちた。いつのまにか病院についていたみたい。

 またやってしまった。いつもこうやって、病院への道を覚えられずじまいなんだ。ちょっとがっかりしたけど、夢の中で会ったきみを想ったら、こころが落ち着いた。

 シートベルトを外して、助手席からとびおりる。おとうさんと手をつないで、大きな白い建物の真ん中に向かって歩いた。

 おとうさんの手は、ふよふよとはちがう。もっとあつくて、かたくて、大きい。

 きみは今、どこで何をしているんだろう。

 たびたび考えるけど、考えたってわからない。

 あのときおなじたまごにいたみんなは、みんなおなじ時間に生まれた。ぼくは人間。ほかのみんなのことはわからない。犬に生まれたり、イルカに生まれたり、ハチに生まれたり、魚に生まれたりしているかもしれない。さいしょはきみのことを探そうって思ってたけど、この世界に、ものすごくたくさんの生き物がいるって知ってから、ちょっと自信がなくなってしまった。

 会えるよって言ったけど、ほんとうに、会えるのかなあ。

 病院に入ると、おおきな受付があって、いろんな色のやわらかい椅子がたくさん。アイスクリームの自動販売機まである。おとうさんが広い受付のひとつにまっすぐ向かっていく。ぼくは一生けんめい歩いて、おとうさんについていった。

 ここはぼくが生まれた病院なんだって。前に来たときに教わった。

 いつもの家からこんなにはなれたところで生まれたなんて、なんだか信じられない。

 人がたくさんいる。広間から廊下が何本ものびていて、ぼくたちはそのうちの一本に入っていく。おかあさんが入院している部屋は三階。エレベーターにのると、急に心臓がいそがしくなった。

 どうしよう、またきんちょうしてきた。

 ぼくは気持ちを落ち着けようと、きみのことを考える。

 会えるよって言ったとき、ぱっと表情をあかるくしたきみのこと。

 エレベーターはすぐに止まって、ぼくたちは三階に出た。

 廊下の窓から、よく晴れた空と、隣の建物の窓が見える。

「きんちょうしてる?」

 おとうさんがからかうみたいに聞いてくる。

「してないよ!」

「うそだ」

「してないって!」

 ぼくががんばって言い返していると、ちょうどそばにあった戸から、

「ふふふふ」

と、声がきこえた。おかあさんの笑い声だ。

 おとうさんがノックすると、おかあさんは笑ったまま、

「ふふ、どうぞ!」

 と言った。

 戸が開くと、白いベッドと、水色のカーテンがぴかぴかして、目にまぶしい。その真ん中で、おかあさんがまだ笑っていた。

「あー、もう、聞こえてきて、笑っちゃった」

「そんなにかい」

「悠太、いつも通りでいいよ」

 うなずく。いざとなったら手紙があるしって思うと、前よりは、きんちょうしないでいられた。

 手術は無事におわって、もうすぐ退院するんだって。おかあさんはぼくに最近のことをいろいろ質問した。小学校の準備で、ちょっとだけ勉強してること。チーズのせパンを作ったこと。おかあさんが帰ってきた夢をみたこと。前にあんなにきんちょうしたのが嘘みたいに、するするとしゃべれた。

手紙のおかげもあるし、もしかしたら、きみがいたのかもしれないと思う。

白いふよふよの感触がまだのこっている。

「そういえば、中庭にあるハクモクレン、知ってる?」

 おかあさんが言った。

「ハクモクレン?」

 おとうさんが首をかしげる。

「うん。ちょうど今、白い花をつけてるよ。つい昨日知ったんだけどね、あの木、悠太が生まれたのと同じ日に芽を出したんだって」

「へえ、すごい偶然」

「あそこに植えられたのは、芽が出たあとだけどね。実はね、今回の手術も、あの木が見守ってくれてたんじゃないかなって思うの」

「うん、そうかもしれないね」

 ふたりの話を聞くうちに、たまごの中の景色が、頭にうかんできた。

 きみとは、しばらく並んで座っていたけれど、気づいたら一緒におどっていた。どっちが先に立ち上がったのか、よく覚えていない。

 とにかく、ぼくたち二人とも、生まれるよろこびがちゃんとわかって、うれしくて、おどった。

 ふよふよの手をにぎりあわせて。

 おかあさんが今言ったことを、むねの中でくりかえす。

 もしかして、もしかしたら……!

「ぼく、その木、見てみたい!」

「中庭って言ったっけ?」

「そうそう。ふたりで見に行って来たら?」

 悠太の兄弟みたいなものかもしれないもんね、と、おかあさんは付け加えて、また笑った。


 生まれる時のこと。

 天井にひびが入って、だんだん割れていって、ぶらさがっていたミラーボールがばらばらになっていく……。

 その瞬間、ぼくときみは、ちゃんと手をにぎっていた。

 また会えるようにってお願いしながら。


 広い中庭は、まわりをぐるっと花壇が囲んでいて、いちばん日のあたるところに、中くらいの木が生えている。

 木には、白いチューリップみたいな花が、たくさんついていた。

 ぼくはおとうさんとつないだ手を離していた。

 だって、走らなきゃいけなかったから。走って、はやくきみにさわりたかった。

 木のそばまで行くと、春の風がふいて、枝をゆらした。

 生まれた時のこと。

 天井のひびから、白いふよふよたちが、いっせいにのぼっていくのを、きみと見ていた。

 白い花は、その時の景色にちょっと似ていた。

 木にさわる。ぜんぜんふよふよしていないけど、たぶん、ぼくの手もそうだろう。でもちゃんとわかった。この枝はきみの手だって。きみも、ぼくのことをわかっている。

 お日様が、空のいちばん高いところで光をまきちらしていた。パーティー会場で見上げたミラーボールと、よく似ていた。

 ひさしぶり。

 ひさしぶり。

 お花、かっこいいね。

 そっちも、かろやかで素敵だよ。

 言い合って、ぼくたちはふたりとも、照れ笑いをうかべた。



ーーーーーーー
#リプ来た3つの絵文字でお話を書く  ②
herb・egg・mirror ball

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?