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二度目の『名付けようのない踊り』・・・一生懸命その場に居る

二度目は、半分眠りそうになりながら、そして眠りながら、一緒に踊っていたような気がします。

映画を観ながら、自分の細胞が確かに踊っていました。膨らんだり縮んだり、小さな体の粒がじんじんと。
映画を観た後もしばらくの間、ちょっとじんじんとした快い余韻。
田中泯がラストに笑顔で発した言葉と同じく、

私も「幸せ。」

映画の後、ふと昔にディスコに行った帰りの気分を思い出しました。全然違う踊りなのに、不思議です。
でも、体が勝手に動き出すというか、音楽が体に入って来て反応するままに踊る感じは似ているかもしれない。そして何年も経った後でも、細胞に刻印された記憶が覚醒して自然に体が動いてしまう。

きっと田中泯の踊りを見ているうちに、太古から脈々と細胞に記憶された何かが動き出したに違いないです。



初めて『名付けようのない踊り』を観た後にもう一回観たいと思ったので、二回目を観に行く前に、改めて「映画を観る構え」を直したいと、あれこれ予告や対談の動画を観ました。田中泯の考えていることに分け入りたかったから。

こちらの動画では、ポスターのために顔のアップの写真を撮影したときのことを、田中泯自身が話しをしていたのを聞きました。

どうも、彼は、内側から「顔」を感じているらしいのです。

「顔の中の自分自身が動いている」 
田中泯

顔の中の自分。すなわち自分の顔を内側で感じるということは、鏡に映った外側から見た自分を認識するのではない。ということ。

そういえば、この映画に登場する松岡正剛も「鏡をみない」と言っていました。

「できるだけ鏡を見ない。ライセンスをとらない。・・・」
松岡正剛


「鏡を見ないで自分の内側から顔を感じる」とは?

やってみようとしたら、一瞬戸惑いがありますが、なにかが逆流しだします。
鏡を見ないことで、確かに自分の「顔の内側から外側に向かって」意識が動きます。鏡を見るときの「外側から自分を見る」方向と反転するのです。

振り返ると、これまでずっと、鏡に映る自分を見てきました。顔はもちろん、全身もそして後姿も。化粧は外側から自分を変身させる行為だと思っていたし、客観的に自分を見ることは自分を変えていくことに直結していました。

自分を確認する時、自分自身でさえも他人の目を使って外側から自分を見ているというのなら、いったい誰が内側の自分自身を見ることができるのだろう。

そして、そのために、外側から自分を装うことばかりになって、内側から自分を発露することを忘れてしまったのではないか。

もしかしたら、田中泯はそこのところを踊っているのでは。

そんな仮説を立てて二回目を観に行きました。

映画が始まりました。
私は自分の内側で感じることに意識を向けながら、頭の中で映画館の大画面を最大限に空間化して、自分の身を置くようにします。

画面からは田中泯が「居る場」に感じたままに超コンパイルされて田中泯の身体が細胞単位で動く波動が伝わってくる。
それをキャッチして、私の中の細胞も共振して、私の中で「場」が再生されてゆくような気がしました。

「踊りは踊る人と見る人との「あいだ」にある」 
田中泯

踊る人と見る人の間に伝わっている時だけに存在するなにかが「踊り」。

時空の一点一瞬にだけ存在して、表出しては消え去るもの。
だから決して保存はできない。

そういえば「踊」という字は「通」という字と兄弟姉妹。
双方に同じ遺伝子を持っているのです。

そして、さきほどの動画の中で、こんな言葉も紹介されました。

「僕は演技はできないけど、
一生懸命その場に居ることはできるから、
それがダンスでやってきたことだから」 
田中泯


「一生懸命その場に居ることはできる」とは、「本当の意味で今を生ききる」ということかもしれない。そしてそんな風に生きたいと強く思いました。

現在に進行し続けている「今」は、あらかじめ筋道立てられたストーリーをなぞるのでは決してないのに、人は線形なストーリーを生きたがる。

いつも未来にばかり意識が向いていて、いったいいつ「今」を生きるんだろう。

今の世の中は(もしかしたら、いつの時代にあっても)遠い未来を描いたり計画したりするお仕事ほどお給料が高いのですが、そういった役目の人は自分自身の「今」を犠牲にしているからこその報酬なのかもしれません。またより多くの収入を得ようとしたら、相手に合わせて素の自分を偽らなくてはいけない場面も多いので、そういう視点で田中泯が山梨で農業を営みながら踊りをしていることは筋が通っています。


今を生きたい。
この年齢になったからこそ今、内側で感じていることを感じたい。大切にしたい。
そして一生懸命に今居る場に居たい。

二回目の『名付けようのない踊り』を観て、そんな風に思いました。


映画が終わったあと、雪が舞っていました。

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そして、向かいのビルの屋上からは排気が竜のように立ち上っていました。

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