見出し画像

楽しむことと結果を残すこと

突然ですが、ただ楽しむという行為を簡単なことだと思いますか?
それとも難しいことだと思いますか?


私はとても難しいことだと思います。

私は大学で軽音サークルに所属しています。基本的には定期的に開催されるライブに向けて、自由にバンドを組み、練習をします。私は幼少期から楽器を習っていたので、絶対音感があり、音楽を演奏することが好きです。サークルでは、ほぼ毎回ライブに出演しています。

しかし、ライブが終わったあと、純粋に「楽しかった」とだけ思えたことはまだ一度もありません。楽しかったという感情とともに別の感情が湧き上がっている時もあれば、全く楽しかったと思えず、一人で泣くこともあります。この原因は、自分が演奏に失敗したから、ということではありません。そうではなく、バンドメンバーがバンドに期待することと、自分がバンドに対して期待することが異なっており、噛み合っていないからです。



一番わかりやすい例を紹介します。

学祭でバンドの発表が終わった後、自分とバンドメンバーの演奏に特別大きなミスがなく、最高にいい演奏というわけではないけれど、お客さんも盛り上がっており、かつ自分も楽しく演奏できたと思ったので、私は満足しました。ところが他のメンバーは、自分の演奏の中で悪かった部分を探すために、演奏が終わった直後に映像を見返し、反省会を開いていました。その時、私はバンドというものを、音楽を楽しむための趣味的にしか思っていないのに対して、他のバンドメンバーは、高クオリティな演奏をバンドに求めているのだと気づきました。


私は、楽しむということと、クオリティを求めることを両立させるのは難しいと思っています。最初は楽しくやっていても、質や結果を追い求め始めると、楽しむということが後回しになってしまい、義務的になっていくるからです。練習しなければならない、うまく演奏しなければならない、そう思い始めるときっと、私は音楽を楽しく演奏することができず、嫌になってしまうと思います。

今回これを記事にしようと思ったきっかけは、偶然出会ったある小説にあります。最後にその本について紹介しようと思います。

浅生 鴨著 「伴走者」

この本は、夏・マラソン編と、冬・スキー編の二部構成になっており、二人の視覚障がいを持つアスリートが登場します。私と同じように、好きなことを楽しむことと、結果を残すことのどちらを優先するかに葛藤する主人公たちに自分を重ね合わせつつも、この二人が迎える結末に驚き、考えさせられる一冊となっています。


楽しむことと結果を残すこと、この二つにおける葛藤は、年齢に関係なく、誰しもが一度は直面する壁なのではないでしょうか?

好きなことを仕事にしたいけどなかなかうまくいかない人、好きなことを仕事にできているけれど、周りの期待値が上がりすぎて心の底から楽しむことができなくなっている人、何かを楽しむこと自体を忘れてしまった人。


全ての方がこの記事、この本をきっかけに、純粋に物事を楽しむことがどういうことであるかについて考え、何かを以前よりも楽しめるようになれば幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?