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1の建物から12のテキスト

今日は半年前くらいに書いた「はじめに」の文章を少し書き換える作業をしています。一度書いたことは、読み返すたびに恥ずかしくなって書き換えたくなるものですね。文章を書くことは本当に大変だなあ。でも毎回学びがあるから嫌いではないな。

今回は、この本のメインである「寄稿」について書き始めようと思います。
12人の人から文章をいただいたわけですが、一気に紹介するのも勿体無いので少しずつやっていきます。

寄稿のきっかけ

自作を発表したならば、誰かにテキストを書いてもらいたい、と思ったきっかけは、このブログでした。自分の作品について書かれた文章を見たのは、これが初めてで、単純な「見てくれて嬉しい!」という満たされた承認欲求でもあると同時に「これはどういう意味?」という新しい疑問や発見があったことに驚きました。
例えば、読書感想文なんかがつまらないと感じるのは、「面白かった。」「感動した。」ということを書くことが前提である気がしてしまうからで、本当に思えてない、もしくはそんな単純ではない、と気づいているのに、そう書かざるおえない状況だからだと思うように。
そういう、本当に感じたことを、簡略化しないで言語化する技術を持っている人がいることに、そしてそういう人が、私の作品を見て書いてくれた文章があるということに驚きました。その時私が勢いまかせにして、言葉で伝えられなかったことが書かれていることに少し悔しくなったりもしたのです。

そういう自分が作ったことから生まれる文章や言葉をもっと見てみたいという気持ちから寄稿を選びました。加えて、実際に建築を見にこれる人はこの世の中のほんの数人(しかもこんな状況ならなおさら、さらに内覧会の日は去年の大台風の時でした)だということもあり、建築のメソッドではなく、感じたことをそのままに、束ねて全く知らない誰かに届けたいと思いました。

私が、今後どんな人生を送るかもわからない(建築家として大失敗するかもしれないし、路線?変更するかもしれないし)し、この建築が本当にスンバラシイぜ!と謳うほど大きな気持ちにもなっていないので、こんなにいろんな人に書いてもらうことは正直ビビっていますが、あんまり慎重になりすぎないように、はじめの一歩だと思って取り組みました。

顔ぶれ

今回寄稿してくださった皆さんは以下の方達です。

木村俊介、白須寛規、田野宏昌、大村高広、川村そら、海乃凧、立石遼太郎、谷繁玲央、奥泉理佐子、小黒由実、春口滉平、青木淳(掲載順)

大学院の同級生から、建築家、小説家、作家の方まで。多くは建築分野ですが、集まった内容は建築の中でも多様な視点で、建築の解像度が上がって他分野の創作活動にアクセスできるような気がします。

企画当初はこちらから数人に声をかけることを想定していたのですが、去年の10月初旬に内覧会を行ってみると、それまで全く知り合いでなかった方々からの問い合わせをたくさんいただきました。ちょうどその頃台風が東京に直撃!?!?という頃で、「知り合い誰もこないな〜」と肩を落としていた頃だったのですが、京都大阪など関西のいろんなところからお越しいただきました。一つの建物を作ることで、会いたかったこんな人あんな人と話すことができるのか〜〜と感動しました。

その後、内覧会を終えてみると、SNSやメールにたくさんの感想をいただき、中には私を抜きに議論が起こっていたりと、、この「運動」みたいなものを、本に込めたいと思い、内覧会にきていただいた方々に寄稿を公募することに決めました。

<半麦ハット>内覧会のお礼と寄稿の募集
現在、私個人と編集者の出原日向子さんと
ZINE「半麦ハットを通して見る」(仮)を制作しております。
(中略)
この建築を見てくださった様々な方に
論考やドローイング、写真、など自由な形式で
何か反応をいただき、その束によって
建築もしくは街の空気をおさめられたらと思っています。

運動として

竣工する半年前に、SHOKKIというセラミックレーベルの「で」というトークイベントが東京であり聞きに行きました。SHOKKIのこれまでのコレクションについてのレクチャーがあり、これからの作戦会議というテーマで、京都の小道具店のオーナーとの対談形式で行われました。その時の内容で、「運動」という言葉が出てきたのが面白くて、意識するようになりました。トークでは、民藝運動の話をしていました。

民藝運動の余波みたいなものをバンバンに受けて育っている私だと思うのですが、真に受けられるほど民藝運動を身体的に捉えられていないとも思います。時代の流れや枝葉に分かれてできた創作をみるなかで、違和感を持っています。私の中に何かに「憧れる」ことへの畏れがあります。
憧れることで、「勘」を手放してしまうような感覚があるのだと思います。たまに、ブランドに憧れて何かを買ってしまうことがありますが、大抵の場合、体に合わないとか、飽きたとか、自分の身体からずれていってしまいます。結局古着屋や好きなセレクトショップに行って、勘を頼りにものを探す方が納得してしまうのです。。

でも最近は、「憧れ」がないことに焦りを感じていることも確かです。それはとても直接的に「憧れの建築家像」ということなのですが、建築が好きだとしても、建築家としてのあり方として、自分もそうなりたいか(この時代でそうなることにどんな意味や未来があるのか)というのがわからなく、行き当たりばったりな日々を過ごしています。。経営とか、思想とか、建築家メソッドみたいなものを読んだりもするけれど、「像」みたいなものが見つからない。。困っています。。
「半麦ハット」は、そういう「像」を作らないことを信念につくってきてあらかたうまく行ったと思っています。そういう形は作れるのに、いざ「生き方」みたいなことを考えちゃうと怖くなっちゃいますね。

大体的にそういう「建築家像」「作家像」みたいなことを考えようぜ!という気はさらさらないですが、自分の動きを少し勇気付けてくれるような、運動体をつくりたい。
「〇〇運動」の、〇〇というところに何が入るのかまだわからないのですが、この時代に少しずつずれながらも同じ方向を向いている人たちとのコミュニケーションと発信の場としてこの本を作りたいな、と。この本を手に取ることで、いろんな人の「困っちゃったな」みたいなのを動かせるようなエネルギーになればいいな、と。

できれば、この本を用いた集会みたいな?トークイベントなりをやっていきたいと思うのです。その際には、惜しくも内覧会に来れなかった作家の友人を誘って何か発表できればいいな、なんて欲張りな妄想をしたりしています。

やっぱり話は横滑りしてしまいますが、日記なので大目にみてください。。
次回以降、3人ずつ紹介できればと思います。

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